16 「わかったか?」と聞くときの心構え 

 我々は「わかる」とか「わからない」という言葉をよく使うが、本当は、「わかったと思う」「わからないと思う」といった方が正しいだろう。

 「わかる」「わからない」という言葉は、説明されたり教えられたりしたときの、その内容に対する理解の状態の自覚的表現だからである。教えられた内容を、すでに自分の脳―神経系の中にもっている言葉であったり、行動感覚であったりするものを手がかりとしてとらえた、その人の自覚の状態を表現したものなのである。
 したがって、「わかったか?」と聞いた側の内容と、「わかった」と答えた側の内容とは、かならずしも一致してはいない。いや、むしろ一致していない方が多いのではないか。説明したり教えたりする側がイメージしている内容や身体感覚と、説明される側、教えられる側が持っているイメージや身体感覚は同じではない。それらは、経験が作り出すものだからである。経験が違えば、作られるイメージや身体感覚も当然異なってくる。

 言葉もまた同じである。「高い山」とか「冬は寒い」といった簡単な言葉でさえ、平原に住んでいる者と山岳地帯に住んでいる者、温かい地域の者と寒い地域の者では、同じ意味を持たない。言葉は、経験と並行して、あるいは経験を整理する中で使われてくるからである。したがって、もっと複雑な内容の事柄、経験を土台にしての理解が必要な事柄を理解するのは、実に大変なことである。
 言葉や図で説明されたことを、それを説明した者がイメージしているのと同じ内容や身体感覚を持つことができるには、説明した者と殆ど同等かそれ以上の行動経験をし、言葉での表現についても同等かそれ以上の経験をしてきているということが必要である。その経験を手がかりとして始めて、推測できるのである。
 
 つまり、説明をして「わかったか?」と聞くときには、相手の経験を見つつ、聞かなければならない。説明の内容についての経験が殆どない場合の「わかったか?」と聞くのは、殆ど意味をなさない。「何についてどうわかったと思っているのか」を確かめる、という姿勢で対応する心構えが必要だ。