【報告】富山調査(北加積小の実践及び富山県総合教育計画の実態)

<調査日程>
2009年4月30日(木)
[11:00~17:30] 滑川市立北加積小学校の資料分類整理
[18:00~21:00(会食含む)] S.25~32時代の資料について予備調査(奥平正先生に質問) 

5月 1日(金)
[10:00~13:30] 北加積小元教師5名へのインタビュー
[15:00~18:00] 資料調査-内容調査,リスト作成,撮影、発送

5月 2日(土)
[9:30~12:00]  富山県総合教育計画の実態について聞き取り調査(元科学教育センター盛野成信氏,米島秀次氏)
[14:00~16:00] 同資料調査(富山県立図書館にて)

北加積小学校には、戦後直後の社会科の教育課程づくりについての資料からその後個別プログラム学習、コンピュータを活用した学習など長期にわたる実践の記録が豊富に残されており、まさに宝の山といった印象を受けた。

カテゴリー: 訪問調査

第14回 水海道資料の撮影と分類整理 (訪問調査)

日 時:2008年5月26日(月),27日(火) 
場 所:水海道小学校
参加者:越川,榊,矢口み
記 録:矢口み  

1 概 況
26日 水海道側からの参加者 : 倉持,飯村,大久保,飯村,菊池,大塚教育長
27日 榊,矢口みの二人で継続(26日水海道泊)

 作業は、撮影班(越川,榊)と、分類整理班(みどり)に分かれて作業。

<26日>
 先生方と菊池さんは連絡した5人全員が早くから見え、4時ごろまで分類整理班の作業を手伝って下さった。
 資料のナンバー確認や仕分けの付箋付け、新たに発見された資料のリスト作りなど、チームワークよく作業していただいた。(感謝!) 
 大塚教育長も10時頃様子を見に来られ、2時間ばかり撮影の様子の見学、先生方と話されていました。

 鈴木悟教頭に挨拶、今後のことも含めて調査活動の予定などお話しした。
 1年生の遠足に随行していた岡田節夫校長には、帰校後お会いできたので調査計画の概略をお話した。

<27日>
 榊と矢口、2人の作業となったが、それぞれの作業を順調に進めることができた。
 2日間の作業の過程で、学校関係者(教師,児童,迎えに来た数人の保護者)から質問などの反応があった。今まで不明であったキャビネットの資料の内容が見えてきたため、関心が出てきたと思われる。

2 作業の経過

《資料撮影の状況》
 昭和23年~30年頃までの資料30冊程、計2300枚位(全体の5分の1位)撮影。
 前々日に購入した資料撮影用デジタル1眼レフのカメラが力を発揮、効率よく撮影進む。
 
《資料の分類・整理の状況》 
通路の7つのキャビネットの資料は、約半分ほどが、教育改革実践に関係する資料。     
教育研究・実践に関係ある資料と、そうでないものに大分類して収納。
はっきり分類できたキャビネットには、子どもたちにも中身が何かわかるように、次のような大きなラベルを貼付した。

○全体の看板として
  水海道小学校の大切な資料  
(1948年頃からの、水海道小学校における教育の工夫・研究の歴史を示す、戦後教育史上の重要資料です)内容の調査・整理中です!<矢口教育学研究会>

○各資料の分類を示すラベル

 第1期(1948~55年頃)地域の課題を解決するための学習を工夫した時期
 第2期(1955~60年頃)具体的な教材・現実的な学習を工夫した時期
 第3期(1960年~  )一人ひとりを育てる学習を工夫した時期

 あかつき新聞、やまびこ新聞(1951~63年のもの)
  児童が経営する2つの新聞社が毎週交代で発行した新聞。
 アルバム(運動会や卒業記念などのアルバム)
 アメリカの教科書(1940年代のもの)戦後、新しい教育を考えるために先生たちが調べたもの。
 外部機関の重要資料(1946年頃からの資料)一緒に教育を研究していた国立教育研究所の研究紀要など

3 今後の計画(2日間の作業を通じての案)

《資料の撮影》
    第2期以降の資料の撮影については、内容の検討をして、重要資料から優先して撮影する。資料の内容によっては(内容的にダブるものなど)、割愛する。

《資料の分類整理・保存と展示を兼ねる》
   資料の種類ごとにわけ、分類ラベルを貼り内容が明らかになったことによって、関係者の関心を高めるのに、大きな効果があると考える。キャビネットを展示ケースと考え、興味関心を持つと思われる内容が見えるように分類収納しラベル貼付して、水海道小関係者(教師,児童、保護者)および常総市教育関係者に示す。

《次回の作業時期》
   人数をかけて、集中的に作業するのが望ましい。7月下旬以降で、計画する。

《資料の解析》
   撮影した内容をCD-Rに落とし、各自のパソコンで見られるようになってから、開始。
   CD-R化作業は、目下榊氏が精力的に進めている。

《先生方など関係者の座談会》
   分類・整理・展示作業および、撮影した資料が映像で見られるようになった段階で、倉持,飯沼,飯村,大久保の先生方、菊池さんを中心とした、関係者の座談会を持ってはどうか。
   当時の教育を振り返って思うこと、今回の作業から思うこと、現在の教育の状況について思う
ことなどを話し合ってもらう。勿論、矢口教育研究会のメンバーも加わって。そこで話されたことが、資料解析の材料にもなると思われる。
   なるべく早い時期に実施するのが望ましい。

《関係者への情報提供など》
   途中段階でも、明らかになったところまでの情報を出していくのがよいと思われる。それによって、市の広報や地元紙に掲載してもらい人々の注意を引くことができればよい。

カテゴリー: 訪問調査

第6回研究会 水海道訪問調査(第2回)

日時:2007年10月27日(土)午前9時30分~午後4時


水海道側からご出席いただいた方々:倉持正,飯沼敦,大久保団次,飯村一男


研究会メンバー:矢口(み),榊,越川,北村,小澤


(以下、矢口(み)氏の研究会記録を転載)          


 台風20号が伊豆から鹿島灘を時速35キロで駆け抜けたこの日は、天気が大荒れ。にもかかわらず、倉持,飯沼,大久保,飯村の四先生が集まってくださった。感謝!当時の話をいろいろと伺うとともに、長時間にわたって資料整理を手伝っていただいた。


?1.四先生の話から 


・倉持(理科)、飯沼(算数)、大久保(国語)、飯村(社会)の主要4教科の教師が集まったと、倉持氏。 


・大久保氏は、菊地さんの担任。守谷の方に移られたので、水海道小へは20何年(?)ぶり 


・飯村氏は、4人の中で一番最後まで学校におられ、猪瀬資料をキャビネットに収めたときの担当者とのこと。(おかげで、だいぶ事情がわかってきた。)フィルムライブラリのありかも判明。 


・フィルムライブラリ活動について  学校から電話で申し込みを受ける。アルバイトの高校生に、フィルムの配達をさせた。フィルムは当時30万円した。後援会の予算で買っていた。  フィルムライブラリのリストは学校にあるのではないか。(要確認) 


・矢口先生の指導について  


「これでよしと思って、矢口先生のところに持っていくと、『これでいいかな?』と言われるともうおしまい。またやり直し。」  *話の様子はビデオ撮影してあるので、現在文字データ化中(榊氏)


2.フィルムライブラリ確認 


・2階中央通路の両側が映像ライブラリ。片側の4つ(?)のキャビネットに16ミリフィルムがぎっしり収まっている。数はざっと見て300本。(反対側の棚にはビデオ)   


・フィルムには、1本ずつに貸出し記録が付いていて、授業での利用のしかたなどを記入したという。数冊の貸出し記録確認。他の貸し出し記録は、フィルムケースの中か?(要確認)  貸出し記録からは、どのように利用されていたのかがわかるので興味深い。(要調査) 


3.歴史の部屋の資料を確認  


前回の調査により作成した資料リストに欠落している資料(猪瀬ナンバー付き資料の約30点ばかり)を探す。約10点を確認。主として、アルバム類。  


4.重要資料のリスト作成と、収蔵場所の確保


猪瀬先生の資料を中心とした、昭和23~40年代の教育実践に関する重要資料の確認と、大まかな分類整理(内容の種類別)をした。またそれらの資料群を、ひとつのキャビネットにまとめて収蔵、仮のラベルをつけた。


5.帰り道  


倉持先生と、大久保先生に守谷まで車で送っていただいた。黄昏時の上、激しい雨で前方がよく見えず、高齢の先生方の運転には危険な状態。事実、倉持氏が2度ほど右折の箇所を間違えだいぶ大回りした。先行した大久保車組は20分近くも吹きさらしの守谷駅で待つ羽目に。日の短い冬場と天気の悪い日は早めに終える必要あり。(守谷駅の飲食コーナーで、暖かい麺を食べて元気を回復、帰途に着いた。男性二人はなんとビールまで飲んでいた。)   


守谷駅駅南流山からの武蔵野線は、台風の影響で遅延。西船橋方面はすぐ来たが、埼玉方面は30分近くも待ったし、減速運転で大幅遅れだった。(皆さん、ご苦労様でした!!)


●調査後の動き


○資料リストの作成


第2回調査で確認できた資料のデータを追加、分類再構成して「水海道小学校保存資料リスト」を作成。(10/30み作成)発行年、著作者を確認できていないものもかなり残っている。また、先日目次等を書き出したものは、まだ一部の資料にとどまっている。内容を明らかにし、実践の実態を明らかにしていくためには、まだ道のりは長い。腰をすえて進める覚悟が必要。


とりあえず、今回整理したリストをもとにどのように調査研究を進めていったらよいか、次回の研究会で話し合うものとする。


○四先生及び水海道小学校に、協力御礼と調査結果の報告(10/31)


保存資料リスト同封の上、四先生及び水海道小学校(校長宛)に礼状送付。水海道小学校には、資料の整理状況とともに収蔵場所の移動をしたことについて報告して、了解を求めた。


○倉持先生からメールが届く(11/2)


矢口みどり様


先日は20号台風の中ご苦労様でした。 


本日「水海道小学校歴史的資料リスト」受領いたしました。 


知らない人にとっては猫に小判、ごみの山と思われかねません。今回整理の手が入り、その重大な価値と貴重さがわかり、しかも分類整理され、人の目に触れることが出来るようになったことはまず一歩大きな前進と思います。ありがとうございました。 


あの翌日、教育長と会いまして、大久保、飯沼、飯村氏も同席し能研の先生方5名出席で終日資料の整理をしたことを報告しましたら、私も行くんだったなあと感謝しておりました。 


まずは御礼まで。


■次回研究会 11月25日(日)13時より 

カテゴリー: 訪問調査

常総市教育長・水海道小校長訪問

日時:2007年10月17日(水)
訪問者:矢口(み)、小澤
目 的:水海道小学校保存資料の調査許可願い&調査の進め方についての相談

(以下は、訪問後矢口(み)氏からメンバー宛に送られたメール) 

1.常総市教育委員会 
時間 :9:40~10:40
面談者:教育長 大塚修氏, 学校教育課長 深作明男氏 (同行 倉持正氏) 
約束した時間より早くついてしまったのですが、倉持先生からの連絡で、もう待機されていたようで、待つことなくすぐに話をしていただけました。教育長の大塚修氏は、能開センターの研修を受けたことがあり、小澤さんとは面識のある方でした。

 こちらの目的、「矢口新の水海道小での教育実践の実態を明らかにする」ための資料調査については何の問題もなく、問題になったのは、もっぱら水海道小学校の教育資料の保存についてでした。
 教育委員会も、水海道小学校の資料の重要性については、十二分に認識しており、きちんと保存しなければならないとは考えているようでした。しかし、どのように進めていくかについては、考えあぐねているようでした。
 どこかに施設を作ってそこに収めるというようなことをイメージとしており、それだと膨大な予算がかかるため、予算的にはなかなか難しいと思っているようでした。
 私たちは、あの資料群の整理保存活動は、水海道小学校の教育活動に愛着を持っておられる方々、つまり、あの教育を実践してきた先生方,卒業生たち,そして保護者たち、そうした人々の力を借りて進めていくのが良いのではないか、という考えを話しました。

 教育委員会が音頭をとり、小数の専門家たちの手ですすめ、施設を作ってそこへ収めてしまうという方法は、資料の整理は確実にできるかもしれないが、その資料の価値は一部の人が知るだけで終わってしまう。そしてまた、いずれその存在は忘れられてしまう恐れがある。
 いかに、あの資料群の重要性を多くの人々が認識し、「生きた資料」として長く存続させ続けるようにするかを考えて進めていく必要がある。
 水海道小学校の教育に関わった人々に、その資料の整理保存の活動を呼びかける。水海道小学校の教育に関わった人なら、その活動をする過程で水海道教育の価値、その証拠である資料の重要性を改めて実感してもらえるのではないか。
 そこから、現在の学校へとつないでいく工夫を考える。
 資料を整理していく間に、その資料群を子どもたちの郷土学習や、総合学習の材料として活用する工夫も考えられるのではないか。
 そうした活動の中で、どういう形で保存していくのが良いかアイディアも生まれてくるのではないか。(新聞を復刻しようとか、国語の教材にしようとか)

 以上の提案は、教育長、学校教育課長お二人の賛同を得ることができました。
  ①原則としては、ボランティア的な活動を主体とする。
  ②活動の方向が見えてきたら、そこに公的支援をしていく、
ということで話がまとまりました。

2.水海道小学校
 時 間:11:00~12:00
 面談者:鈴木教頭 (校長の豊島氏は学校関係者に不幸があり、不在。)
 
①資料の調査については、問題なし。非常に好意的。
②研究会の調査日は、原則として土曜に
 全国ーの実力をもつ金管バンドが練習に来ているので、校舎は大抵は開いているとのこと。遠征中はあいていないので、事前に学校に連絡して確かめること。閉まっているときは、希望時間を伝え、鍵を開けてもらい、終了時に連絡して閉めてもらう。
③資料の整理保存について
 進め方については、教育委員会でお話したこととおなじことを、お話しました。異存どころか、かえって喜んでくれました。
「本来ならば人を雇ってでも自分たちがするべきところだが、なかなかできない。やっていただけるのは本当にありがたい。歴史の部屋の建設時の浄財がまだ余っているので、資料整理作業で発生する費用については負担する。」とのことでした。
④歴史の部屋の資料目録借用(水海道小学校より)
 土浦の郷土史研究家青木氏作成のもの。名村氏が記念誌作成のための調査のために相談に行ったところ、興味を持ち一緒に調べ作成してくれたもの(名村氏の情報による)で、資料のリストと解説から成る。

                           
■次回研究会 水海道小調査【10月27日(土) 9:30~16:00】

カテゴリー: 訪問調査

水海道「歴史の部屋」訪問 その2

訪問後、研究会の動きが活発化している。
その様子をメールから紹介する。

①榊正昭さんからのメール

 あの書棚がもしあの場所になかったら…と思うと、天が味方してくれたような
 気がします。
 <私の思いつき>
 ○あかつき新聞、やまびこ新聞の復刻版の企画(卒業生による)
 ○当時の新聞社社長、編集長へのインタビュー
 ○放送部、購買部はじめ自治活動についての関係者インタビュー
 ○「はえのいない町」の経緯、特に町の衛生行政との関わり。
 <矢口教育学に関しては>
 ○社会科カリキュラムの作成経緯
 ○生活学習研究会

 いろいろ発想が湧いて来る水海道訪問でした。
 そこが現地調査の面白さですね。

 ビデオから倉持、飯沼、菊池お三方の話をテキストに
 しておきます。こういう話はテキスト起こしも楽しい
 です。

②矢口みどりさんからのメール

 8月9日水海道の一日は、本当に感動的な一日でした。
 水海道小学校でのすばらしい教育を、少しでも多くの人に知ってもらい、
 現在の教育に少しでも生かせられたらと、思います。
 毎日暑い日が続きますが、夏バテなどしていられませんね。
 皆さまのメモをもとに、水海道小学校保存資料のファイルを作りましたので、お 送りします。常総市教育長、水海道小学校長、および手伝っていただいた倉持、 飯沼、菊池の諸氏にも送るつもりです。
 調査の翌日、常総市の教育長大塚修氏(元水海道小教員)と電話で話をしました。
 水海道小学校の活動は戦後教育史に置いて大変重要な意味があること、
 またその活動の記録が残っていることが大変貴重であること、
 など話し、今後も調査を続けさせてほしいとお願いました。
 大塚氏は自分も近いうちに水海道小を訪問したいと話されていました。

 以上報告まで。

③小澤からも一言
  
 水海道小の輝かしい実践の様子は、何らかの形でまとめて公表したいですね。
 名村さん(水海道小130年記念誌「仰ぐみどりの」の編著者)へのインタビューも考えましょう。
 学校に絶望している人々に、学校がこんなにも楽しい場所になり得るのだということを知らせたいものです。

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