矢口は人間の身体的行動と思考や感情を、脳神経系の働きとして一元的に捉えていた。矢口教育学の根底にある考え方がそこから出てくる。
(略)…わかるとかわからないというのは、自分の状態の自覚的表現なのであって、本当は、わかったと思い、わからないと思っていることなのである。その根底をなすものは脳系のはたらきそのものなのである。
このことは教育の場合には重要な意味をもつ。わかったとかわからないとかは自分が思っていることである。自分が自分の脳系の状態を見た表現であって、大切なことは、その見られている脳系が本当に働いているかどうかである。つまり脳系の働きそのものをつくることが教育では大切なのである。わかるというのは、脳系があることができる、人の話に追随してゆく脳系があるというように自分では自覚したという表現にすぎないのであって、自分が思っていることが事実そうであるかどうかはわからない。教育の目的はわからせる、つまりわかったと思わせることなのでなく、その自覚の起こる根源の脳系の働く状態をつくることなのである。(潮出版社「講座日本の将来6教育改革の課題」1969共著Ⅶ教育工学p232)