最近、「ワーク・プレイス・ラーニング」という言葉を耳にする。企業における教育、職場の人材育成を総称する概念で、その中味は、仕事を通して学ぶ OJT(オンザジョブトレーニング)や社員研修、つまりこれまでの企業内教育と変わらないようだが、ラーニングつまり「学習」の視点から捉え、より効果的な学習の場を設計するという意図がうかがえる。このワーク・プレイス・ラーニングの考え方は、矢口が一貫して実践的に展開してきたことと通じる。
たとえばOJTについて…
「OJTという言葉は、我が国でも大分以前から使われているが、それが真の意味で理解されていないのは、我が国の教育とか訓練についての考え方が知識注入的であって、その中に埋没してしまうからであろう。」
「OJTとは読んでの通り、仕事をしながら自分を自分で訓練し、つくりあげて行くということで、本来生活の形成力を問題にした言葉なのである。生活の中でいかに形成するかなのである。それを昔は、職場に入ったら、しばらくは見習いとして追廻しに使われ、そのうちになんとなくどこかへ位置づいてピースワークをやらせる。そしてそれがだんだん定着していくという形で、いつの間にかピースワーカーが育ってしまう。」
矢口が問題にしたのは、OJTがともすると視野の狭い職人的性格をつくってしまうことでした。
「それを打開するために、新しい方式として学科、座学によって理論を教育しておこうとする近代の技術教育方式が生まれたのであるが、理論というものが具体の事実と統合しないで与えられる形になるので、行動力の形成には役立たないのである」
矢口が目標としたのは、仕事全体を眺め、眼前の仕事をその中に位置づけて研究的に行う、つまり仕事に対する姿勢の形成であった。
「現場の仕事を単に習熟によってものにするのでなく、理論と実際とを統合した形で把握して、仕事に対して広い展望をもち、発展的に行動してゆくことができる作業員を形成するには。現場を行動の場と位置づけ、いかなる行動が最もふさわしいかという考え方でそれを解析し、そこから自分の行動の仕方を生み出して来るように学習の場(研究の場といってもよい)を設計することが大切なのではないだろうか」
矢口が開発した仕事の学習システムや教材は、すべてこの考え方によるものである。
(矢口新選集6 「生きがいに挑戦する人間の育成」より「企業内教育の転換」から)
12.OJTについて
6.社会の転換と新しい人間像
「現代は転換の時代と言われる。今は過去の延長線上に生活することを許されない時代である。あらたな予想外の事態に対してまったく新たな発想で対処しなければ、未来を生むことができないという時代である。そこに独創的人間の創造的努力が待望されているのである。しかもそれが歴史の過去の時代のように、一部少数の人にのみ求められているのではない。すべての人にそういうものものが望まれているのである。このこと自体過去の歴史になかったことであって、我々にとってまったく新しい事態である。歴史は少数の人によって動かされるという思想でものを考える人は、自分がすでに時代遅れになっていることを気づかないでいる人である。
すべての人々によって現実が正しくとらえられ、そこから現実を打破していく努力が生まれ、それで新たな現実が生まれる以外にない。すべての人々に事実から正しい情報をとらえる能力が必要になって来た。その情報を処理加工して、新たな情報を生み出す能力が必要になっている。それが新たな人間の実践活動を生み出し、新たな転換が起こり、新たな社会が動きだすのである。現代日本の現実は、そういう現実である。」
1972「能力開発のシステム」(国土社)より。(矢口新選集2 p207?8所収)
矢口はこのあとに「産業界のいわゆる技術革新はその発端であったにすぎない。」とし、さらに「それはたんに技術革新というような局限された世界のことにとどまらなくなってきた。生活の全分野にわたって新たな転換を必要とするに至ってきた。」と述べ、産業公害、市民運動、消費者運動、そして内外の政治、経済の転換への大衆参加による革新となると指摘した。こうして育てるべき新しい人間像を具体的にイメージし、教育方法の転換の必要を具体的に提起していったのである。
3.製糖工場で
矢口は、生活の現実の中で生きて働く本物の能力を育てることを常に考えていた。そして、その能力は生活の現実の中で行動することによって育つとした。そのためには学習者が主体的に行動する場、探究する場が必要だとして、さまざまな学習システムを開発、実践している。
そのひとつに、製糖工場の自動化に伴う作業員の転換教育(1976大日本製糖)がある。自動化以前は各工程に20年30年という砂糖づくりのベテランがいたが、自動化でそれらの技術は要らなくなり、代わって中央制御室で計器を監視し工程を管理する仕事が必要になった。 矢口は自動化により人間がロボットのようにならぬように、「自分の仕事の場を総体として把握し、それを制御できる行動力」をつける教育プログラムを提案し、現場の教育担当者とプロジェクトチームを組んで教材とカリキュラムを開発した。砂糖の製造工程のさまざまな条件をシミュレートする実験、シミュレータを使ったシーケンス制御、フィードバック制御の基礎、解体前の工場の現場解析などの学習を通して、作業員は主体的に学習に取り組んでいった。矢口は言う。
「この教育プログラムがねらったものは、いわゆる知識技術という内容の習得でなく、むしろ未知なるものに迫って行く姿勢態度であった。私はそういうものが育てば、知識、技能などというものは自分でその獲得の方法を発見して、自分でものにしていくのだと思っている。」(矢口新選集6「生きがいに挑戦する人間の育成」 p95)
このプロジェクトは工場の自動化への対応にとどまらず、従業員が何事にも主体的に取り組む新たな企業風土を生み出したと報告されている。学習システムはその後さらに、別のいくつかの製糖会社で使われている。(写真:グループで砂糖の溶解や結晶のミニ実験。ベテランも初体験!)