研究・実践から

門司工場その後 ―エンジニアリング会社の立場から―

協立エンジニアリング(株) 兵頭 暁

CCR室


「門司工場」(福岡県北九州市)というのは、かつて大日本製糖の本社工場で、明治37年にレンガを全部イギリスからもってきて創立したという名門工場である。ちょうど東京駅の丸の内側のような建物である。


25年前に始まった全員学習

今から25年前の1975~6年にかけてD3計画という大改造によって、オートメーション化を成し遂げたが、それを私のところでやらせていただいて、さらに能力開発工学センターにお願いして1年半に及ぶ全従業員の教育を実施した。この教育については、能力開発工学センターから報告書*も出され、研究報告会も行われたので、ご存知の方もいらっしゃるであろう。(*「矢口新選集」第6巻に収録)
これによって、人員削減なしで乗り切ったということで、教育が工場の経営に密着した形で生きた例として教育研究としても高く評価されたと記憶している。その後、製糖業界の再編が進み、合併によって「西日本製糖」と名を換え、さらに現在は「関門製糖」という名前になっている。
D3の老朽化に伴い、1998年1月から2000年8月にかけて製糖プロセスの老朽更新と新鋭化のためのシステム改造が行われ、現在CCR(中央制御)室の建築改造工事が進行中である。9月には完成するはずであるが、このCCR室は、改造を中心になって進めている山門孝則氏(企画開発室長)以下、そこで働く人々の思いがこもったものになる筈である。
というのは、製造部門はもちろんのこと、トップから営業、経理等の事務部門までが一つの部屋に集まり、製造情報を共有できる「場」にしようという設計思想によって作られているからである。決まるまでには社内の抵抗もあったが、根気強い取り組みで間もなく完成というところまで漕ぎ着けられたのである。


協同設計の申し出に見えた姿勢と力

私には長期間見続けてきたための贔屓目もあるかも知れないが、この「門司工場」改め「関門製糖」は、働く人が日々挑戦できる生きがいの持てる職場という意味で、まさに日本一の会社になるものと確信している。それは、ここに至るまでの25年の間、工場の皆さんが、工場の稼働率向上、歩留まりアップをめざして、学習と研究を休むことなく継続され、数多くの改善点を仕様として練上げてこられた。その努力の経過を見てきたからである。今回のCCRの設計に際しても、今後の改善をし易くするために、協同設計をしたいという申し出があり、大いに驚き、喜んだのである。他社の場合は全面的に任せる、ということが殆どだからである。
このような皆さんの姿勢と力は、やはりD3の時に行った全員に対する本格的な教育によって培われたものではないか、と私は考えている。もちろんその後、世代交代をされながら技術移転される中で、あの教育がボディーブローのようにじわじわと効いてきているというのが私の実感である。よくここまで学習を継続され、発展させていただいたと感謝の気持ちで一杯である。
蛇足ながら、現在「関門製糖」は、歩留まり、稼働率共トップクラスにあり、業界上位を確保していることをご報告しておく。

能力開発ニュース57号(2002/7)より