31 集中と繰り返し

生卵が割れるようになるのは、平均11歳

 ある教育研究所の調査結果では、生卵を割れるようになるのは平均年齢11歳であるという。11歳といえば、5年生か6年生である。小学校の教師修学旅行の説明会で、保護者から「割れないので朝ご飯に生卵は出さないでほしい」という要望が出ることは珍しくないという。
 『噂の東京マガジン』というTV番組に、街中に出て、このぐらいはできてほしいなと思うことを周囲の人にやってもらうという「やってトライ」というコーナーがあるが、ここで卵割が取り上げられたことがある。トライした50人の子どもたちのうち、ちゃんと割れた子は21人、約4割だった。
 生卵を割るというような簡単なことが、どうしてそんなに大きくなるまでできないのかと思われるかもしれないが、これが意外にも多く、先日も、高校生になっても卵割りができなかったという女性のブログを読んだ。「割れても『ぐしゃっ』という割れ方で、手が卵まみれになり、手元にふきんがないと割れないような状態だった」と彼女は書いていた。

卵割りは1日でできる

 生卵を割るという行動は、卵を茶碗のふちなどのような硬いものに軽くあてて殻にひびを入らせ、ひびのところで殻を両側に開き中身を出す、という単純な行動である。我が家の子どもたちは、娘は4歳、息子は6歳で割れるようになった。それも1日で。5年生6年生でもできない子もいるのに、どうして1日で、と思うかもしれないが、1日だからできるのである。
 「なのに」ではなく「だから」である。卵割りは、集中して5個ぐらい続けて割れば、たいていの子どもができるようになる。多くてもせいぜい10個である。

練習のプロセス

 まず、できる人が卵割を1,2回ゆっくりやって見せ、卵割り行動を構成している要素をつかませる。硬いふちのようなものでたたき殻にひびを入れること、ひびのところを両側に広げること、そしてそれぞれのときの手の使い方などである。
練習をさせるときは、それぞれの行動の感覚をつかませることを心がける。

 ・ひびを入らせるときの強すぎず弱すぎずの力の強さの加減 
 ・たたいた瞬間に止めるような力の入れ方の感覚
 ・十分なひびが入ったときのグシャッという抵抗感の変化の感覚

 無論最初からうまくいくことはあまりない。失敗を修正していくことでできるようになっていくのである。うまく短時間で修正し、成功に近づけるには、失敗した記憶が残っているうちに、修正行動をさせる必要がある。たたく力が弱くひびが入らなかったら「もう少し強くたたいてごらん」、逆に強すぎたら「もう少し弱く」、ひびが入ったときの感じを判断できない子には、割る前の卵を軽くふちに当てさせそのときの抵抗感を感じさせておき、たたいたときその感じが変わることを観察させる。「今のグシャッという感じわかった?」というように。
 成功した場合は、その行動の感覚が記憶に残っているうちに、繰り返させる。確実にできるようになるまで繰り返させる。
 文章で書くと大変な行動のようであるが、前述したように、多くても10個もやってみればできるようになる。いくら割ってもいいよ、と20個ぐらい用意して気を楽にさせてやれば、効果も上がる。

1週間に1個では、割れるようにならない

 生卵が割れない子どもたちは、卵割りをする機会はどれほどあったのか。ご飯に生卵をかけて食べるときだけ、それも自分の分だけというようなことではなかったか。
 卵かけご飯を毎日食べる場合でも、1日1個である。小さな子どもが、自分の失敗行動の問題点を自覚していて、翌日にその行動を修正するというようなことは、なかなか難しい。1週間に1個、1ヶ月に1個ではなおさらである。5年たっても、卵割りはできるようになるとは言えない。
 
集中と繰り返し ― 技術を早く確実に身につけるためのポイント

 この話、何も生卵に限ったことではない。どんな行動,技術の習得についても言えることである。
 人間の脳は学習型の脳である。行動したときに働いた神経回路の興奮が残る。それが行動の記憶であり、それを蓄積していくことで様々なことができていくようになっている。脳は、成功行動だけ区別して記憶してくれるわけではない。初めての行動のときは、たいていは行動がうまくいかないので、回路にその記憶が残る。その失敗回路の記憶を材料として行動を修正していくことで、できるようになっていくのである。
 うまく短時間で失敗を修正し、成功に近づけるには、失敗した記憶が残っているうちに、修正行動をさせる必要がある。そのことを忘れたころにやったのでは、意味がない。つまり、練習は集中して行う必要があるということである。
 また、記憶回路は何度も引き出すことで確実になる。その回路を何回も働かせるほど、その回路への信号はスムーズになり、記憶が強固になっていく。だから、行動が成功したら、その記憶(行動感覚)が残っているうちに、何度もその行動を繰り返し練習し、成功回路を強固な確実なものとしておく必要がある。繰り返し練習の意味はそこにある。

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30 冷静に対応する

「冷静に」「落ち着いて」と言われても・・・

 今年の5,6月、「冷静に」「落ち着いて」の言葉が飛び交った。国内で初めて新型インフルエンザの感染者が確認された5月1日以降、舛添厚労相は連日のように早朝や深夜に緊急記者会見を開き、対応の仕方について語った。「症状があった場合はいきなり病院には行かず、保健所や相談センターに電話するように。落ち着いて対応してほしい」と繰り返した。会見は各局のTVニュースで、何回も放映された。
 横浜市の高校生が直接病院を受診したために感染拡大の危険性が心配された際、長時間電話が通じなかった横浜市に対し、「危機管理の体をなしていない」と厳しく批判した舛添大臣に、中田横浜市長が「国民に落ち着くように呼び掛けているが、大臣自身こそ落ち着いた方がいい」と反撃する一幕もあった。 
 もう一つ、やはり新型インフルエンザ関連。政府が2億8783万円をかけて作った、新型インフルエンザへの対応のしかたについてのテレビCM。麻生首相が「政府や自治体が発表する情報に注意し冷静な対応をお願いします」と呼びかけたもので、5月19日から6月1日まで毎日全国に放送された。
 そしてまた8月、静岡での震度6地震発生に際しての県知事が県民に呼びかけた言葉、これも「落ち着いて」であった。

「冷静に対応する」とはどういうことか

政府が繰り返し要請した新型インフルエンザへの「冷静な対応」に対しては、「『冷静に』と言われてもどうしてよいかわからない。具体的にはどうすることなのか」と、TVの報道番組の司会者が対策の専門家に質問していた。「情報をとって、しっかり準備するということです」と専門家は答えた。しっかり準備してあれば、冷静に対応できるというのだ。
しかし、準備というのは何か。薬やマスクというものの準備だけではないはずだ。情報の取り方も含めて、そうしたときの行動のしかたを身につけておくということであろう。
 「冷静」の反対は「動揺」「あわてる」、それが極端になると「パニック」になる。「あわてる」「パニック」は、どうしたらおこるか。それを解析してみると「あわてない、パニックにならない」つまり「冷静に対応する」という行動のしかたが生み出せる。

対応の仕方を行動力として身につけておくこと

 脳は日々情報を取り、それを分類整理して脳の記憶回路にネットワークをつくって管理している。あわ
てる、パニックになるというのは、それができなくなるということだ。急激に、それまでにない、自分の行動のしかたや生活(時には命)を脅かすような情報が入ると、危険安全への対応をつかさどる扁桃体が働いて脳内にアドレナリンが過剰分泌され、必要ない神経回路まで働いてしまう。脳が混乱し、必要な情報を整理することができなくなるということである。
 それに対し、自分がつぎにとるべき行動が予測できる、そしてその行動が、自分にとっては手馴れたものであること、もしくはそう困難なことではないことだと認識できれば、アドレナリンは過剰に分泌されず、脳の回路は平常どおりに働くことができる。
 ここで大事なのは、この対応のしかたは単なる知識ではないということだ。行動力として身につけておくということだ。危機的状況に関する情報をとる習慣をつけること、その情報を整理していつでも取り出せるようにしておくこと、そしてことが起こった場合の行動のしかたをシミュレーションし、自分のものとしておくところまでやっておけば、言うことはない。

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28 成長する組織の条件 

できることだけやっていたのでは、成長しない

 始めてのことをするときは、たいていは失敗する。
 人間の脳は、失敗を修正することによって、目標の行動を成立させるための神経回路を作り上げていくのである。だいたい、初めての行動を行うときには、その行動を成立するための回路は出来上がっていない。人間の脳は、行動したときに発生した神経回路の興奮を記憶するという形で行動のしかたを蓄積していくものだからである。
 初めての行動をするときは、その行動を成立させるのに近いものを組み合わせて、脳は対処する。それに不足があれば失敗する。行動表現するための身体の各部と神経回路との信号のやりとりが、目標行動が要求するより遅い場合も失敗する。
 人は、何度もやり直してその失敗を修正していく。そうして、だんだん目標の行動を成立させるための回路を作っていくのである。繰り返すことにより信号の伝達スピードも速くなり、やがて目標の行動ができるようになる。
 人間は失敗を修正することによって成長していくのである。できることだけやっていたのでは、能力はそれ以上に伸びない。

失敗を許して、チャンスを与える

組織の力は、一人ひとりの力の総合である。失敗させたら組織にとってマイナスと考え、失敗させないようにしていたのでは、そのものの力は伸びない。一人ひとりの力が伸びていかなければ、組織としての力も伸びていかない。
 つまり、一人ひとりに少し背伸びをさせて、仕事に挑戦させることが大事だということである。そのものの頭をフル回転させて、仕事をさせる。そして、やったこととその結果を自覚させることが、成長させるためのポイントである。
 失敗したら、失敗の原因を分析させる。その対策を考えさせる。そしてもう一度チャンスを与える。それが上に立つもの、指導する立場にあるものの、あるべき行動の姿勢だろう。

そして、もうひとつやること

 それは、部下の失敗のカバー。
 上に立つもの、指導する立場にあるものは、失敗をカバーする力、失敗に対処する力を持っていなければならない。そうした姿勢と力を持った組織でなければ、成長していかない。

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24 併行学習

▼9.11に思うこと
 9月になると多くの人が、アルカイダの攻撃によりツインタワービルなどが破壊されたあの7年前の出来事を思い出すことだろう。夜のニュースを家族全員で見ていた我が家においても、まさにリアルタイムの映像でそれを見てしまったため、いまだに生々しい記憶として残っている。
 映画やディズニーランド,コンピュータ,ゲーム機などで非常に近しい存在の国アメリカ、ニューヨークはそのシンボル的都会だ。そこでの大惨事。子どもたちにとっては、本当にショックだったに違いない。「どうしてこんなことが起こるの」「戦争になるの?」「日本で起きたらどうしよう」「怖いよ」、我が家の子どもたちも不安を訴えた。

 こうした、子どもが一人では考えられないようなことが起きたとき、大人がどう対応するか、それは大変重要なことである。冷静に情報をしっかりとることを、教えなくてはならないと感じた。それからの数日間、夫と私は、なるべく子どもたちと一緒に、過度にセンセーショナルに報道する番組や、憶測をかたる番組を避け、しっかりと調査して冷静に客観的に伝えようとする番組を選んで見ることを心がけた。  新聞にもどう書いてあるかも調べた。そして、そこから感じたことを話し合うようにした。
 そして事件の背景が見えてきたとき、それをどう判断すべきか、こういうことが起こらないようにするためにはどうしたらいいのか、そしてわれわれは何をすべきか、と話し合うようにしていった。

▼ いつもどおりの授業をした学校
 中学生の息子から、学校はこの大事件に関して何の行動も見せなかったことを聞いて、私は驚いた。わずかに、事件の翌日息子のクラスの国語を教えていた若い男性教師が授業の開始時に簡単に触れたのみであったという。朝学習の時間,給食の時間,ロングホームルーム、朝の全校集会、社会科の授業、総合的学習の時間、いくらでも時間はあったのに、担任も社会科の教師も、校長も一言も触れなかったというのである。学校全体で取り組んでいた総合的学習のテーマの一つが「国際理解」であったにもかかわらずである。
 
 月末に行われた息子のクラスの保護者会で、「子どもが大変ショックを受けたこのような問題に対して、学校,教師は、どう対応すべきだと考えているか」と、私は担任の教師(理科)にたずねた。「何もしません」「正しい答えがわかっていないことは、教えられません」と彼は答えた。

 「答えを教えてほしいと言っているのでなく、まず、子どもたちの動揺をどう受け止めてやるかということ。そして、こうした問題をどのようにとらえていくか、考えていくか、そういう姿勢を育てるということ・それは大事なことではないのか」重ねてたずねたが、彼は、「数学や理科の時間を削ってやるようなことではないでしょう」と答え、「今日はそういう問題を話すために集まってもらったのではないのだから、その話はもうやめてください」と怒ったように言った。
 結局、それ以後も息子の学年では、この事件をどう考えるかについては何一つ触れられずに終わった。
(ちなみに、総合的学習「国際理解」は世界のジャガイモ料理を材料にして展開された。)

 この教師、この学校が取った行動、「社会的に重要な意味がある問題や、子どもが関心を持っている問題を取り上げない」ということと、「正しい答えが出ていないことは教えない」という、ことである。このことは、脳にとってどのような結果をもたらすのか、それを考えてみたい。

▼ 併行学習
   ~行動の内容とともに、行動のしかたを併行して学習すること
 脳は行動したことを、行動したように学習していく、というのが脳の学習のしかたの原則である。
 
 つまり、教師が説明することを聞き、黒板に書かれたことを書き写す、それを覚える、という学習をし続けると、学習した内容と同時に、そのときの「教えられることを受け取って覚える」という行動のしかたも身につくということである。
 自分で考えて行動するということなしに、指示されたことを行動するという行動を積み重ねれば、「自分で考えず」「指示されたことを行動する」という行動のしかたが身につくということである。
 
 逆に、ものごとを自分(たち)で調べ、得られた情報をもとに自分(たち)で考え、(仲間と)話し合い、自分(たち)なりの見解を出す。新たな情報が入ればそれまでの情報と合わせて検討し、必要があればそれまでの見解を修正する・・・というように学習活動を積み重ねれば、そうした行動のしかたが身についていくのである。

▼ 「答えを教える」教育は、受身の姿勢を育ててしまう
 脳の学習の原則から考えると、「正しい答えを教える」という学習は、同時に学習者に「答えは教わるものだ」という考え方や「教えてもらう」のを待つ姿勢を育てていくことになる。
 
 しかし、実を言えば、世の中には、答えがない問題、そう簡単に答えが出せないことの方が多い。また「答え」があっても、一つとは限らない。ある場合にはよくても、別の場合にはあてはまらないということもしばしば起こる。今は正しいと考えられていることでも、新しい事実が明らかになれば、間違いだったということも出てくる。答えが決まっているのは数学や文字のように、約束を決めその範囲でものごとの関係を整理するという種類のもので、世の中のことは、「答え」を人から教えてもらうというような姿勢では立ち行かないことばかりなのである。
 
 したがって、子どもたちには、答えを教えるのではなく、答えの出し方を捉えさせなければならない。状況状態を観察する力、観察した結果を分析する力、わかったこと,わからないことを整理し、その段階で自分なりの行動のしかたを考える力、それを実行に移す力、また、実行してよい結果が出なければ、それを見直して修正する力、そうした力を育てることが大事なのである。

▼ 周りのことに目を向けさせないでいると、「無関心」を育ててしまう
 「正しい答え」が出ていないうちは「教えない」という考え方、これにはどんな問題があるか。
 9.11のような問題に限らず、世の中の多くのことは、先に述べたようにそう簡単には答えは出ない。ということは、誰かが答えを出してくれるまで考えない、避けて通るということになる。そうすると、社会的な問題,身近な問題、重大な問題でも、難しい問題は自分では考えない、避けて通るという行動のしかたが身につくことになる。
 
 「そんなことを考えるより、公式の一つも覚えろ」 そういう学習を積み重ねていくと、社会の問題を見ようとしない、他人のことに無関心な自己中心的な人間を育ててしまうことにつながるということが、容易に予測される。
  
 息子の担任の考え方には、子どもたちの育て方の上で、重大な問題があったのである。それに気づいていながら、教師の剣幕に驚いて引き下がってしまった自分が、いまさらながら情けなく口惜しい。

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23 いじめについて

●百人百様の意見
 いじめ行動がなぜ起こるのか。
 勉強や受験のストレスだという主張がある。勉強についていけないから面白くない。その憂さ晴らしにやるという意見もある。だから、もっと学習指導に力を入れればよい、と言う。充実感がない、集中できるものがない、その心の空白を埋めるためにいじめる、という主張もある。協力して何かに向かうことがないからだという人もいる。だから、部活動などに力を入れ指導せよ、などと言う。
 人の心を考える経験がないからだという意見もある。だから、福祉施設などでボランティア活動をさせよと言う。家庭教育がなっていないから、愛情を持って育てられていないからいじめる、いじめられたとき親に相談できないのだ、などという主張もある。また、いじめは本能だとする説もある。この説を採るものは、「いじめはあるものだ」という前提に立っていじめへの対応をしなくてはならないとする。
 百人いれば百様の意見が出てきて、対応策はなかなかまとまらない。確かに、いじめ行動が生まれる状況はさまざまである。しかし、脳の働き方という視点からいじめ行動をとらえてみると、視界が開けるように思う。いじめ行動が生まれるメカニズムには、共通した脳の働き方を見ることができる。そこから、いじめ行動を起こさない子どもたちの育て方を考える大きな鍵となるように思う。

●「いじめ行動」が生まれるメカニズム
 いじめ行動は、人間の快・不快という感情と関係して生まれる。人間の脳は、行動のまとまりとしての「いじめ」を本能としてもっているわけではない。しかし、自分にとって快である(心地よい)方向に向かって活動し、不快な(心地よくない)ものは避けるという働き方を持つ。この快・不快を感じる脳の働きが、いじめ行動を生み出すもとになっているのである。
 いじめを生み出す状況にさまざまな違いはあっても、そこに共通するのは対象に対する「ウザイ」「キモイ」という言葉で表現される「不快感」である。その不快感は、必ずしもいじめの対象が原因していない「受験や成績からのストレス」「仲間はずれという不快感から逃げる感情」もからんでいることが多いが、ともかくそれらの不快な感情を解消するために、脳は行動を起こすのである。そして「相手をいじめることによって得る快感」「仲間である安心感」を得るのである。
 快・不快を感じ、快の方向に向かって行動しようとさせるのは、生命の維持機能を担当する脳幹に属する扁桃体の働きによるもので、心地よいものが自分にとって安全であるとする「生命を守るための本能的な働き」である。例えば、人間は生まれたばかりのときは甘いものしかおいしいと感じない。赤ん坊にとっては甘い母乳が一番安全。「甘い=安全」であるから、「甘い」をおいしい「=快」と感じるようになっている。苦いもの辛いものは危険なものである可能性があるので、不快と感じる。だから、赤ん坊に甘いもの以外の味の物を与えても危険なものとして舌で押し出してしまう。
 つまり、自分にとって快でないもの(不快なもの)を排除するという行動は脳の最も基本的な活動なのである。自分の力を示すことで快となる行動、また不快なことを避けたり紛らわしたりするための表現である「いじめ行動」は、脳の本能的な働きを土台とした行動だということである。「いじめはどこにでも発生する」「いつの時代でもある」理由はそこにある。

● 行動のしかたで脳の働き方が育つ
 いじめは脳の本能的な働き方から起こる。しかし、現実には多くのいじめをしない人間がいる。人間の脳の働き方は、本能だけで決まるものでなく「育つ=変化する」ものだからである。人間の行動は、「快」「不快」という人間の本能的感覚に左右されるが、その人間にとって、何が「快」で何が「不快」であるかは、経験により変化していくのである。前述の味覚の例で言うと、大人は塩味も辛みも苦みも「うまいもの」として味わうことができる。成長の過程で、心地よい環境のもと信頼できるものから与えられていくうちに、脳の中に辛いもの、苦いものもだんだん美味しい(快)と感じる味覚の回路ができていくからである。
 脳が作り上げるのはもちろん味覚ばかりでない。経験したときの記憶を蓄積して、さまざまな行動と感情のネットワーク回路をつくりあげていく。先生にほめられたのがきっかけで絵を描くのが好きになったり、人前で失敗して以来話すのが苦手になったり、誰しもそれを実感する経験をもっているだろう。つまり人間は、行動の経験のしかたの積み重ね方によって、同じことを「快」と感じるようになったり「不快」と感じるようになったりする。行動をした状況や、その結果によって変わってくるのである。いじめ行動をおこすかどうかは、育て方(=行動の経験のさせかた)が大いに関わってくるということである。
 したがって、いじめ行動の対策は、脳の本能的働きかたと、行動経験からつくられる脳のネットワーク回路、その両面の視点を持って考えていく必要がある。

●「助け合うことの快」を体験させる
 
どうしたらいじめをやめさせることができるか。
 いじめをしている子どもたちの脳は、いじめをすることで「快」の状態になる。脳は、同じ行動を積み重ね、同じ回路を何回も使うほど、その回路の働きは強固になっていく。従って、いじめを封じるには、まずこの回路を使わない状態にしなくてはならない。しかし、ただ使わないというだけでは「いじめない脳」はできていかない。回路は休んでいるだけで、環境が整えばその回路は再び働くからである。
 「いじめない脳」にするということは、「いじめ」で快になる状態を、「いじめない」がより快であるようにするということである。脳には快と思う方向に働く自己保存の原則があるからである。脳の働き方から考えると、「いじめない」が快になるには、お説教を聞かせたり「いじめはいけない」というメッセージを読ませたりという受動的な行動より、「いじめないことにより、快を感じる行動経験」をさせる、それを積み重ねるということの方がはるかに効果的である。脳のネットワーク回路は、脳を複雑に活発に活動させるほど、そして感情が絡むほどしっかりできていくからである。
 「いじめない」というのは、具体的には助けるという行動、励ます、手伝うという行動だ。その行動の結果、またはその行動のプロセスが「快」をもたらすような、そういう行動の場を作って、その行動を経験させるということが必要なのである。
 もちろん、それはそう簡単なことではない。みんながやる気になるテーマ選び、そしてグループとして成立させるための手助けが必要となる。グループを作ればすぐ仲間になれる、グループワークができるというわけではないからだ。相手に伝わるように意見を言うこと、相手の言い分を聞くこと、意見をまとめること、仕事の分担、リーダーシップのとり方、協力のしかた、それらを育てるための、グループの状況に応じた適切な指導が鍵となる。

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22 本当は30歳過ぎると賢くなる その2

▼脳の働きを育てる行動のしかたと、じゃまする行動のしかたがある
 われわれ人間の脳は、使うことによってどんどん能力が高まる機能を持っている。誰でもどんどん賢くなる可能性があるということを、前回のべた。しかし、それをすべての人間が経験しているわけではない。小さいころ成績がよく、さぞかし優秀な人間になると思われたものが、思うように伸びなかったという例は多い。だが反対に、小学校中学校時代は目立たなかったが、20代30代になって頭角を現してくるという例もある。それらは、多くの場合、脳の働かせ方をどう積み重ねてきたかということに起因している。学習のしかた、仕事のしかたには、脳の働きを助け促進するものと、それとは逆に、働きをじゃましたり衰えさせたりしてしまうものとがあるからである。
  
▼頭の良さの正体は、構造化された「記憶のネットワーク」とアクセスの速さ
 頭の良い人とはどういう人だろうか。それは単なる物知りではない。新しい情報や状況に出会ったとき、それにどういう意味があるのか、またどこに問題があるのか、調べるべきことは何なのか、そうしたことが考えられる、そしてそれへの対処が素早くできる人のことを言う。幅広い視野で物事を考え、考える筋道が立っている、そうした人のことを言う。
 つまり、本当の頭(脳の働き)の良さというのは、ただ速く記憶できるとか、すぐ思い出せるといったようなことではなく、記憶したことを土台に物事を分析し総合する、そうした能力が優れていることを言うのである。そして、それは脳の「分類-組み合わせ」の能力、脳のネットワーク機能が優れているということに他ならない。

▼ 構造化されたネットワークの威力
 下の図A,Bは、脳内の記憶の構造のイメージ図である。図に示した○や△の記号は、脳に取り込まれている情報(記憶)を意味する。それらがいかに整理され構造がついているかで、その人の力量が違ってくる。脳内の記憶の構造がついていると、他の記憶との関係が明らかで、探したり組み合わせたりが容易である。新しい情報が入ってきたとき、どこに位置づけるかがわかるし、どういうものが不足しているかもわかる。

A 構造的に整理されている記憶

◎―○―□―◇―△―▽ 
   ●―■―◆―▲―▼
    ●―■―◆―▲―▼

B 整理されていない記憶

    ▼ △ ○
  ■ □ ▽ ◎ ▲
  ● ● ▼ ◇ 
     ■ ▲ ◆

 
 具体的な現象や事実、そしてその背景、土台となる理論,自分自身の経験などが、この図Aのように構造的に関係付けられている脳と、そうでない脳Bおでは、決断や行動を迫られる場におかれたときの働き方の違いは押して知るべしである。

▼ 脳のネットワーク形成を助けるもの
 行動したこと経験したことを記憶していくというのが、脳の働き方の基本システムである。そして、その記憶を分類し関係づけ、記憶のネットワークをつくる。たくさんの経験をし、その行動・経験の記憶がうまく分類整理されてつながっていけば、脳の働きは爆発的によくなっていく。
 脳のネットワーク形成を助けるには、「分類-組み合わせ」型の行動が効果的である。ものごとを、自分で調べ、分類し、構造をつけていくというように行動のしかたは、記憶のネットワークの形成を助け、ネットワーク構造の中に自覚的に情報を取り込んでいくということになるからである。脳が本来持っている働き方と合致するものであるから、脳は働きやすく活発に活動する。バラバラした経験が長い間に整理され、自然発生的にネットワークができていくのに比べ、はるかに速い。
 課題を持って探究的に行動している人間が、ある段階で飛躍的に伸びるのはそういうことである。前回紹介した池谷氏の例もこれである。

▼ 脳の成長をさまたげる学習や仕事のしかた
 原則として、行動すると脳は働き、脳が働けば働いた分だけ神経回路が形成され成長していく。ところが、脳を育てるどころか、脳を衰えさせてしまう学習のしかた(行動のしかた)がある。頑張ればできそうなすこし難しい課題に対しては、脳はやる気を出して活発に活動するが、とても手におえないような難しい課題には、脳は意欲を失って休んでしまうのである。また、やさしすぎる課題に対しても、脳は意欲を示さず、休んでしまうという性質がある。
 たとえば、高校や大学の授業で難しい話を聞いていてわからなくなり、途中で居眠りがでてしまうといった現象。また、わかりきった内容をくりかえし聞かされていて、退屈してしまうという現象。こういったときの脳は、意欲を失って休んでしまっている状態なのである。休んでばかりいると、脳は学習しない(新しい回路ができない)どころか、脳の学習機能そのものが衰えていくということが、様々な例からわかってきた。

▼神童、才子を「ただの人」にしてしまうのは・・・
 脳は行動することによって学ぶ。その人自身の脳が活発に活動し経験しなければ、脳は成長しないのである。子どもの神童・才子ぶりは、多くの場合、まだ本来の機能を発揮する前の脳の、単純記憶による情報収集時代の活動のしかたの現れである、必ずしも本当に脳の働きがすぐれているということではない。そこから、本当の頭の良さに到達するか、ただの人になるかは、ひとえに脳の働き方にあった行動をするかどうかにかかっている。
 本当に賢くなろう育てようと思うのなら、子ども(学習者)の脳がどれほど活動しているかを、考えて見なければならない。学習している(させている)つもりが、脳の成長にとって却ってじゃまになっていないか、見直してみる必要がある。

▼ 中学時代からの学習のしかたが鍵
 特に、中学時代からの学習のしかたが問題である。脳にとって有効な刺激、有効な学習は、年齢によってことなる。10代頃から脳の働き方は、丸暗記型から分類-組み合わせ型へと移行していく。小学校低学年のころ有効だった整理された知識を覚える学習も、10代の脳にとっては有効な刺激ではない。
 中学以降は圧倒的に多い講義型の授業が多い。その授業の中で学習者はどんな行動をし、何を経験しているだろうか。教師の脳だけが活発に活動していて、学習者は教師が整理した結果をただ聞くだけ書き写すだけになっていないか。事実を観察して読み取ることや、資料を集めデータを分析整理する、またその結果を材料にディスカッションするなど、脳に、活発に「分類-組み合わせ」の活動をしている(させている)だろうか。親や指導者たち、また学習者自身は、ぜひそういう視点で学習のしかたを見直してもらいたい。

 30過ぎて、自分は本当に賢くなったと、ぜひとも皆に実感してもらいたいのである。
  
   
 

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21 本当は30歳過ぎると賢くなる 

▼ 二十(はたち)過ぎればただの人?
 「十で神童、十五で才子、二十(はたち)過ぎればただの人」ということわざがある。ある時期、わが子の能力に目をみはった経験を持っている親は少なくないだろう。どんどん文字を覚え、本を読み、すばやく計算をする。そうした子どもを見て、将来どんなに優れたものになるかと親も周囲も期待をかける。ところが、成長するにつれてだんだんその能力に陰りが出てきて、学校を出る頃には平凡な人間になってしまい、思いが裏切られることになる。ことわざは、そうした経験から生み出されたものだろう。
 しかしなぜ、最初は神童とまで思えた人間が、大人になると平凡な能力の人間になってしまうのだろうか。

▼ 脳が本来の機能を発揮しはじめるのは、30歳を過ぎたころ
 脳に関する数々の著書を出して注目されている新進の脳学者池谷裕二氏は、大人になるとだめになるどころか、本当は「人間は30歳すぎたころから本当に賢くなる」、いやなれるはず、そういう脳を人間は持っているのだと言う。池谷祐二氏自身も、30歳を越えてから急に脳の働きがよくなったと感じるようになったという。
 池谷氏は、自身のことを一種の記憶障害であると語る。大学生ころまでは、いくら一生懸命勉強しても、友達のようにすぐには覚えられなかったという。だから、学習のしかたを工夫し必死にノートに整理しては覚える。そうして勉強してきた。ところが、30歳を越えた頃になって、それまで脳に蓄積してきた情報(記憶)が有機的に連繋しはじめ、発展的にものごとを考えられるようになったという。それは、その年ごろになると、脳の本質的な働きが、有効に機能し始めるからなのである。

▼ 子どもの記憶と大人の記憶
 われわれは、記憶力の良し悪しの判断を、ものごとを正しく覚えているかどうか、つまり記憶を正しく引き出すかどうかで判断する。確かに子どもは、教えられ覚えたそのことをすぐに答えられる。それが、頭が良いと驚かれる所以であるが、それは、記憶していることが少ないからである。記憶量が少ないために、目的の記憶をすぐさま探し当て引き出すことができるのである。
 一方、30歳ぐらいの大人の記憶量は、3,4歳の子どもの記憶量が1000だとすると1億か10億、もしかするともっと多いという。1000の記憶の中から目標のものを探すのと、1億10億の中から探すのでは、その大変さが違う。子どもの記憶の何十万何百万倍の記憶を対象にするのであるから、しまい場所にたどり着かなかったり、間違ったものを引き出してしまったりということが起こるのも当然で、それは大人の脳の働きが悪くなったということではない、と池谷氏は言う。

▼ 脳の本質的な働きは「分類して組み合わせ」
 「一を聞いて十を知る」という言葉がある。これは、頭の良い人のことを褒め称える言葉として使われるのであるが、実はそうしたことは、凡人であるわれわれも、日常的に経験している。
 人間の脳は、「ものごとを要素に分類して記憶し、その記憶を組み合わせて使う」という働き方をする。この「分類して組み合わせ」が、脳の本質的な働き方なのである。だから、新しいことでも、前に似かよった行動をしていたなら、それらの記憶を組み合わせて考えることができるし行動することができる。1から10まで全てを教えられなくてもできるのである。これが「応用をきかせる」ということである。
 この「応用をきかせる」ということは、子どもにはなかなかできない。子どもの段階は単純記憶で、この脳の「分類して組み合わせ」という働きは、まだ機能していない。分類と組み合わせは、記憶がある程度蓄積されていかなければできないからである。
 「応用をきかせる」ことは、大人になり、経験を重ねていくほどできるようになっていく。それは、脳がだんだん本当の機能を発揮していっているという証拠である。だんだん成長して能力が高まる脳を、われわれは持っているのである。

▼ 誰もが賢くなる可能性をもっている
 脳の働き方が、単純記憶方式から分類・組み合わせ方式に移行し始めるのは10代の頃からで、成長するにつれだんだんそれが主流になっていくという。行動経験がさまざまに積み重ねられれば重ねるほど記憶の量が増えていく。記憶が増えれば増えるほど、その組み合わせによって生まれるものも増えていくので、応用を利かせることができるし、新しいものを生み出せるようになっていく。30歳過ぎというのは、学校を出て10年、いろいろな行動経験が積み重ねられ、記憶が十分蓄積されたころである。そのころから人間が本当に賢くなっていくというのは、そういうことである。
 人間の脳は、誰の脳も本質的には同じである。したがって、誰もが、どんどん賢くなれる可能性を持っている。

 現実的には、必ずしもすべての人がそれを実感してはいるわけではない。逆に「中学校までは何とか勉強できたが、高校以降はついていけなくなった」「経験を重ねても、応用が利かない、いろいろなものごとを関連付けて考えられない、新しい工夫ができない」と悩む人は多い。それはなぜか。次回は、そのことについて考えてみる。

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17 脳が意欲的に働く条件

●やり始めると、やる気が出る
 やる気(意欲)を生み出す場所は大脳辺縁系(*)の側坐核。そこの神経細胞が活動すればやる気が出る。側座核の神経細胞が活動すると、海馬と大脳の前頭葉に信号が伝えられ、シナプスを刺激してやる気を起こす神経伝達物質が送り出されるのである。
 ただ、この側座核はなかなか活動しない。ある程度の刺激がきてから活動し始める。しかし活動が始まると側座核は自己興奮してきて活動が活発になる。特にやりたいと思っていなかったことでも、やっているうちに気分が乗ってきて集中力が高まる。「やることによって、やる気が起こる」ということである。
 とすると、意欲(やる気)を起こさせるには、行動に導くための工夫が大事だということになる。やる気を起こす活動をしている側座核に強い刺激が伝わるように、学習や仕事を組み立てる必要があるということだ。

●脳は「快」の方向に働く
 「快」の方向に働くというのが、脳の本性である。「快=自分にとって心地よい=安全」という、自分の生命を守る本能としての働きがあるからである。「不快=自分にとって心地が悪い=危険」となるからである。だから脳は、「快」の状態を好きになり、「不快」の状態を嫌いになる。「快」になる方向に行動し、「不快」を避ける行動をする。「好きなことは、言われなくてもやる」というのはそういうことだ。
 快・不快の感情をつかさどるのは、やはり辺縁系の扁桃体。即座核と扁桃体の活動が、意欲を起こすための鍵となる。

●成長が自覚できると、頑張れる
 いくら勉強してもわからない学習、いくらやっても成果が上がらない仕事には、だんだんやる気を失ってくる。この方法、この進め方でよいのかという疑問もおきてくる。逆に、自分の力が確実に伸びた、成長したと自覚できるとやる気が出る。成長が自覚できたときの喜び(快)が強い刺激となって側座核に伝わり、そのときの快感を持続したいと思うからだ。
 進めて行く段階段階で成長が自覚できる、また目標に近づいていくという喜びや感動が生まれるような、学習や仕事をそのように組み立てるとよいということだ。

●「頑張ればできそう」と思えると、意欲的になる
 脳がどういう課題を与えたときに一番活性化するかを、実験して調べたという。脳の血流量を調べたところ、簡単すぎる課題のときは、脳の血流量は上がらない。難しすぎる課題のときにもあがらず、むしろ低下してしまう。そして、少し頑張ればできるという程度の課題のときに、血流量が増えて脳が活性化していることがわかったという。
 つまり、少し上の目標に向かっていくときに、一番意欲がわくということだ。目標に到るまでを、頑張ればできる、といういくつかの段階に組み立てて、少しずつ目標に迫っていくという学習の仕方,練習の仕方が、脳には適しているということである。

● 失敗したとき、やる気がでる
 失敗は、不快である。脳は、失敗を避ける方向、不快を打ち消す方向へ活動する。だから、失敗しそうなことには手を出さない。しかし、失敗してしまったときにはやり直したいという気持ちが生まれる。失敗を修正して、不快の状態から抜け出したいのである。
 だから、失敗したときは学習するチャンス、学習させるチャンスということだ。失敗を自覚していれば、同じ失敗をしない。意識の自覚ではなく、身体活動を含めた総合的自覚をさせ、自分自身で失敗を修正していく。修正できている、修正できた、という実感が得られれば、それは「快」になる。意欲的になる。

 苦労を重ねて失敗を克服したとき、その喜びは大きい。また、仲間とともに助け合った経験も、大きな喜びをもたらす。そういう経験をしたものは、苦労が見えていても、また失敗の危険があっても、意欲的に取り組むようになって行くのである。

★脳を意欲的にするための考えるポイント
  
① 好きなこと,関心のあること  
  ② 頑張ればできそうと思える目標の設定とその段階
  ③ 成長が自覚できる学習の組み立て(前段階との比較など)      
  ④ 失敗の修正のしかた

*大脳辺縁系
 大脳新皮質の奥に位置する。進化の早い過程できた部分。論理や言語活動を成立させる大脳新皮質(新しい脳)に対して、本能的に生き活動するための脳で、古い脳と呼ばれる。

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11 「頭を良くする」ということはどういうことか

 「頭を良くする」ということは、脳の「分類-組み合わせ」の能力をみがくということである。脳は、行動経験したことを記憶していくというのがその基本のシステムである。そして、その記憶を分類し関係づけるということをしている。経験の記憶は、経験しただけある。それがどんどん分類整理されつながっていけば、脳の働きは爆発的によくなっていくと、脳学者は言う。つまり、「頭を良くする」というのは、脳に「分類-組み合わせ」型の働きをさせるようにするということである。
 しかし、これには条件がある。それは、脳本来の働き方をさまたげない、もっといえばそれを助ける行動のしかた・学習のしかたをするということである。「分類-組み合わせ」型の行動をすればもっと効果的だということである。学習する内容を自身で調べ、視点を立てて分類し、整理するというような学習をするということである。教科書を暗記したり、教師の話をただおとなしく聞いたり、ということではないということである。

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10 脳は、単純記憶が苦手

 「イイクニ(1192)作ろう鎌倉幕府」とか「イヤーロッパ(1868) さん、明治だね」などと、いろいろな意味をつけて年号などを覚える工夫をした経験を誰しも持っているだろう。脳は、単純記憶は苦手で、何の意味もない数や文字の羅列を覚えるのは苦手なのである。
 脳の基本的な働き方は、分類してそれを組み合わせるという働き方である。人間は、ごく幼いときは単純記憶が得意であるというが、それは脳学者に言わせれば、得意というよりそういう記憶のしかたしかできないからだという。分類がまだできないのである。成長するにしたがって、脳の働き方はどんどん「分類-組み合わせ」型に移行していく。
 脳には、得意なことと不得意なことがある、ということである。教育者は、こういう脳の働きの特質を考えて、教育を行われなければならない。学習者も、学習のしかたを工夫する必要がある。

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