32 失敗2題

「失敗」のとらえかた

 日本人は、失敗を「挫折」と考えてしまいがちだが、失敗こそ「成功の道につながるプロセス」である。
 なぜ失敗をしたかを分析すれば、成功につながる視点が見えてくる。
 育てるべきは、失敗を分析する姿勢と、分析する視点である。
 何かを考えついてやってみる。うまくいかなかった。
 それを失敗と見るのではなく、だめな方法が明らかになったと見る。
 考える方向が少し狭まったと見る。
 そういう思考の仕方が大事である。

失敗の検証 

 失敗を生み出した人間行動の分析をしなければ、失敗の克服にはつながらない。
 「不注意」「知識がなかった」「経験が不足していた」というような分析では、失敗の克服にはつながらない。それでは、ほとんどの失敗の原因は、同じになってしまうだろう。 
 なぜ「その不注意」が生まれたのか。不注意を生み出す条件はなかったか。「経験」が生み出すどんな能力が不足していたのか、それを分析しなければならない。

 どのような観察・判断が不足していたか。
 どのような技術行動が不足していたか。
 当事者の勤務条件はどうだったのか。
 見極めを難しくする場の条件はなかったか。
 行動を確認する習慣,システムは不十分ではなかったか。
 
 言葉で知っているだけでは、行動できない。
 「気をつけよう」「失敗しないようにしよう」と思っただけでは、できるようにはならない。
 脳は、行動しただけのことができるようになるのである。
 失敗を克服するための行動のあり方を明らかにして、行動感覚となるまでの行動力として育てる方策を生み出さなければならない。

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24 併行学習

▼9.11に思うこと
 9月になると多くの人が、アルカイダの攻撃によりツインタワービルなどが破壊されたあの7年前の出来事を思い出すことだろう。夜のニュースを家族全員で見ていた我が家においても、まさにリアルタイムの映像でそれを見てしまったため、いまだに生々しい記憶として残っている。
 映画やディズニーランド,コンピュータ,ゲーム機などで非常に近しい存在の国アメリカ、ニューヨークはそのシンボル的都会だ。そこでの大惨事。子どもたちにとっては、本当にショックだったに違いない。「どうしてこんなことが起こるの」「戦争になるの?」「日本で起きたらどうしよう」「怖いよ」、我が家の子どもたちも不安を訴えた。

 こうした、子どもが一人では考えられないようなことが起きたとき、大人がどう対応するか、それは大変重要なことである。冷静に情報をしっかりとることを、教えなくてはならないと感じた。それからの数日間、夫と私は、なるべく子どもたちと一緒に、過度にセンセーショナルに報道する番組や、憶測をかたる番組を避け、しっかりと調査して冷静に客観的に伝えようとする番組を選んで見ることを心がけた。  新聞にもどう書いてあるかも調べた。そして、そこから感じたことを話し合うようにした。
 そして事件の背景が見えてきたとき、それをどう判断すべきか、こういうことが起こらないようにするためにはどうしたらいいのか、そしてわれわれは何をすべきか、と話し合うようにしていった。

▼ いつもどおりの授業をした学校
 中学生の息子から、学校はこの大事件に関して何の行動も見せなかったことを聞いて、私は驚いた。わずかに、事件の翌日息子のクラスの国語を教えていた若い男性教師が授業の開始時に簡単に触れたのみであったという。朝学習の時間,給食の時間,ロングホームルーム、朝の全校集会、社会科の授業、総合的学習の時間、いくらでも時間はあったのに、担任も社会科の教師も、校長も一言も触れなかったというのである。学校全体で取り組んでいた総合的学習のテーマの一つが「国際理解」であったにもかかわらずである。
 
 月末に行われた息子のクラスの保護者会で、「子どもが大変ショックを受けたこのような問題に対して、学校,教師は、どう対応すべきだと考えているか」と、私は担任の教師(理科)にたずねた。「何もしません」「正しい答えがわかっていないことは、教えられません」と彼は答えた。

 「答えを教えてほしいと言っているのでなく、まず、子どもたちの動揺をどう受け止めてやるかということ。そして、こうした問題をどのようにとらえていくか、考えていくか、そういう姿勢を育てるということ・それは大事なことではないのか」重ねてたずねたが、彼は、「数学や理科の時間を削ってやるようなことではないでしょう」と答え、「今日はそういう問題を話すために集まってもらったのではないのだから、その話はもうやめてください」と怒ったように言った。
 結局、それ以後も息子の学年では、この事件をどう考えるかについては何一つ触れられずに終わった。
(ちなみに、総合的学習「国際理解」は世界のジャガイモ料理を材料にして展開された。)

 この教師、この学校が取った行動、「社会的に重要な意味がある問題や、子どもが関心を持っている問題を取り上げない」ということと、「正しい答えが出ていないことは教えない」という、ことである。このことは、脳にとってどのような結果をもたらすのか、それを考えてみたい。

▼ 併行学習
   ~行動の内容とともに、行動のしかたを併行して学習すること
 脳は行動したことを、行動したように学習していく、というのが脳の学習のしかたの原則である。
 
 つまり、教師が説明することを聞き、黒板に書かれたことを書き写す、それを覚える、という学習をし続けると、学習した内容と同時に、そのときの「教えられることを受け取って覚える」という行動のしかたも身につくということである。
 自分で考えて行動するということなしに、指示されたことを行動するという行動を積み重ねれば、「自分で考えず」「指示されたことを行動する」という行動のしかたが身につくということである。
 
 逆に、ものごとを自分(たち)で調べ、得られた情報をもとに自分(たち)で考え、(仲間と)話し合い、自分(たち)なりの見解を出す。新たな情報が入ればそれまでの情報と合わせて検討し、必要があればそれまでの見解を修正する・・・というように学習活動を積み重ねれば、そうした行動のしかたが身についていくのである。

▼ 「答えを教える」教育は、受身の姿勢を育ててしまう
 脳の学習の原則から考えると、「正しい答えを教える」という学習は、同時に学習者に「答えは教わるものだ」という考え方や「教えてもらう」のを待つ姿勢を育てていくことになる。
 
 しかし、実を言えば、世の中には、答えがない問題、そう簡単に答えが出せないことの方が多い。また「答え」があっても、一つとは限らない。ある場合にはよくても、別の場合にはあてはまらないということもしばしば起こる。今は正しいと考えられていることでも、新しい事実が明らかになれば、間違いだったということも出てくる。答えが決まっているのは数学や文字のように、約束を決めその範囲でものごとの関係を整理するという種類のもので、世の中のことは、「答え」を人から教えてもらうというような姿勢では立ち行かないことばかりなのである。
 
 したがって、子どもたちには、答えを教えるのではなく、答えの出し方を捉えさせなければならない。状況状態を観察する力、観察した結果を分析する力、わかったこと,わからないことを整理し、その段階で自分なりの行動のしかたを考える力、それを実行に移す力、また、実行してよい結果が出なければ、それを見直して修正する力、そうした力を育てることが大事なのである。

▼ 周りのことに目を向けさせないでいると、「無関心」を育ててしまう
 「正しい答え」が出ていないうちは「教えない」という考え方、これにはどんな問題があるか。
 9.11のような問題に限らず、世の中の多くのことは、先に述べたようにそう簡単には答えは出ない。ということは、誰かが答えを出してくれるまで考えない、避けて通るということになる。そうすると、社会的な問題,身近な問題、重大な問題でも、難しい問題は自分では考えない、避けて通るという行動のしかたが身につくことになる。
 
 「そんなことを考えるより、公式の一つも覚えろ」 そういう学習を積み重ねていくと、社会の問題を見ようとしない、他人のことに無関心な自己中心的な人間を育ててしまうことにつながるということが、容易に予測される。
  
 息子の担任の考え方には、子どもたちの育て方の上で、重大な問題があったのである。それに気づいていながら、教師の剣幕に驚いて引き下がってしまった自分が、いまさらながら情けなく口惜しい。

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23 いじめについて

●百人百様の意見
 いじめ行動がなぜ起こるのか。
 勉強や受験のストレスだという主張がある。勉強についていけないから面白くない。その憂さ晴らしにやるという意見もある。だから、もっと学習指導に力を入れればよい、と言う。充実感がない、集中できるものがない、その心の空白を埋めるためにいじめる、という主張もある。協力して何かに向かうことがないからだという人もいる。だから、部活動などに力を入れ指導せよ、などと言う。
 人の心を考える経験がないからだという意見もある。だから、福祉施設などでボランティア活動をさせよと言う。家庭教育がなっていないから、愛情を持って育てられていないからいじめる、いじめられたとき親に相談できないのだ、などという主張もある。また、いじめは本能だとする説もある。この説を採るものは、「いじめはあるものだ」という前提に立っていじめへの対応をしなくてはならないとする。
 百人いれば百様の意見が出てきて、対応策はなかなかまとまらない。確かに、いじめ行動が生まれる状況はさまざまである。しかし、脳の働き方という視点からいじめ行動をとらえてみると、視界が開けるように思う。いじめ行動が生まれるメカニズムには、共通した脳の働き方を見ることができる。そこから、いじめ行動を起こさない子どもたちの育て方を考える大きな鍵となるように思う。

●「いじめ行動」が生まれるメカニズム
 いじめ行動は、人間の快・不快という感情と関係して生まれる。人間の脳は、行動のまとまりとしての「いじめ」を本能としてもっているわけではない。しかし、自分にとって快である(心地よい)方向に向かって活動し、不快な(心地よくない)ものは避けるという働き方を持つ。この快・不快を感じる脳の働きが、いじめ行動を生み出すもとになっているのである。
 いじめを生み出す状況にさまざまな違いはあっても、そこに共通するのは対象に対する「ウザイ」「キモイ」という言葉で表現される「不快感」である。その不快感は、必ずしもいじめの対象が原因していない「受験や成績からのストレス」「仲間はずれという不快感から逃げる感情」もからんでいることが多いが、ともかくそれらの不快な感情を解消するために、脳は行動を起こすのである。そして「相手をいじめることによって得る快感」「仲間である安心感」を得るのである。
 快・不快を感じ、快の方向に向かって行動しようとさせるのは、生命の維持機能を担当する脳幹に属する扁桃体の働きによるもので、心地よいものが自分にとって安全であるとする「生命を守るための本能的な働き」である。例えば、人間は生まれたばかりのときは甘いものしかおいしいと感じない。赤ん坊にとっては甘い母乳が一番安全。「甘い=安全」であるから、「甘い」をおいしい「=快」と感じるようになっている。苦いもの辛いものは危険なものである可能性があるので、不快と感じる。だから、赤ん坊に甘いもの以外の味の物を与えても危険なものとして舌で押し出してしまう。
 つまり、自分にとって快でないもの(不快なもの)を排除するという行動は脳の最も基本的な活動なのである。自分の力を示すことで快となる行動、また不快なことを避けたり紛らわしたりするための表現である「いじめ行動」は、脳の本能的な働きを土台とした行動だということである。「いじめはどこにでも発生する」「いつの時代でもある」理由はそこにある。

● 行動のしかたで脳の働き方が育つ
 いじめは脳の本能的な働き方から起こる。しかし、現実には多くのいじめをしない人間がいる。人間の脳の働き方は、本能だけで決まるものでなく「育つ=変化する」ものだからである。人間の行動は、「快」「不快」という人間の本能的感覚に左右されるが、その人間にとって、何が「快」で何が「不快」であるかは、経験により変化していくのである。前述の味覚の例で言うと、大人は塩味も辛みも苦みも「うまいもの」として味わうことができる。成長の過程で、心地よい環境のもと信頼できるものから与えられていくうちに、脳の中に辛いもの、苦いものもだんだん美味しい(快)と感じる味覚の回路ができていくからである。
 脳が作り上げるのはもちろん味覚ばかりでない。経験したときの記憶を蓄積して、さまざまな行動と感情のネットワーク回路をつくりあげていく。先生にほめられたのがきっかけで絵を描くのが好きになったり、人前で失敗して以来話すのが苦手になったり、誰しもそれを実感する経験をもっているだろう。つまり人間は、行動の経験のしかたの積み重ね方によって、同じことを「快」と感じるようになったり「不快」と感じるようになったりする。行動をした状況や、その結果によって変わってくるのである。いじめ行動をおこすかどうかは、育て方(=行動の経験のさせかた)が大いに関わってくるということである。
 したがって、いじめ行動の対策は、脳の本能的働きかたと、行動経験からつくられる脳のネットワーク回路、その両面の視点を持って考えていく必要がある。

●「助け合うことの快」を体験させる
 
どうしたらいじめをやめさせることができるか。
 いじめをしている子どもたちの脳は、いじめをすることで「快」の状態になる。脳は、同じ行動を積み重ね、同じ回路を何回も使うほど、その回路の働きは強固になっていく。従って、いじめを封じるには、まずこの回路を使わない状態にしなくてはならない。しかし、ただ使わないというだけでは「いじめない脳」はできていかない。回路は休んでいるだけで、環境が整えばその回路は再び働くからである。
 「いじめない脳」にするということは、「いじめ」で快になる状態を、「いじめない」がより快であるようにするということである。脳には快と思う方向に働く自己保存の原則があるからである。脳の働き方から考えると、「いじめない」が快になるには、お説教を聞かせたり「いじめはいけない」というメッセージを読ませたりという受動的な行動より、「いじめないことにより、快を感じる行動経験」をさせる、それを積み重ねるということの方がはるかに効果的である。脳のネットワーク回路は、脳を複雑に活発に活動させるほど、そして感情が絡むほどしっかりできていくからである。
 「いじめない」というのは、具体的には助けるという行動、励ます、手伝うという行動だ。その行動の結果、またはその行動のプロセスが「快」をもたらすような、そういう行動の場を作って、その行動を経験させるということが必要なのである。
 もちろん、それはそう簡単なことではない。みんながやる気になるテーマ選び、そしてグループとして成立させるための手助けが必要となる。グループを作ればすぐ仲間になれる、グループワークができるというわけではないからだ。相手に伝わるように意見を言うこと、相手の言い分を聞くこと、意見をまとめること、仕事の分担、リーダーシップのとり方、協力のしかた、それらを育てるための、グループの状況に応じた適切な指導が鍵となる。

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22 本当は30歳過ぎると賢くなる その2

▼脳の働きを育てる行動のしかたと、じゃまする行動のしかたがある
 われわれ人間の脳は、使うことによってどんどん能力が高まる機能を持っている。誰でもどんどん賢くなる可能性があるということを、前回のべた。しかし、それをすべての人間が経験しているわけではない。小さいころ成績がよく、さぞかし優秀な人間になると思われたものが、思うように伸びなかったという例は多い。だが反対に、小学校中学校時代は目立たなかったが、20代30代になって頭角を現してくるという例もある。それらは、多くの場合、脳の働かせ方をどう積み重ねてきたかということに起因している。学習のしかた、仕事のしかたには、脳の働きを助け促進するものと、それとは逆に、働きをじゃましたり衰えさせたりしてしまうものとがあるからである。
  
▼頭の良さの正体は、構造化された「記憶のネットワーク」とアクセスの速さ
 頭の良い人とはどういう人だろうか。それは単なる物知りではない。新しい情報や状況に出会ったとき、それにどういう意味があるのか、またどこに問題があるのか、調べるべきことは何なのか、そうしたことが考えられる、そしてそれへの対処が素早くできる人のことを言う。幅広い視野で物事を考え、考える筋道が立っている、そうした人のことを言う。
 つまり、本当の頭(脳の働き)の良さというのは、ただ速く記憶できるとか、すぐ思い出せるといったようなことではなく、記憶したことを土台に物事を分析し総合する、そうした能力が優れていることを言うのである。そして、それは脳の「分類-組み合わせ」の能力、脳のネットワーク機能が優れているということに他ならない。

▼ 構造化されたネットワークの威力
 下の図A,Bは、脳内の記憶の構造のイメージ図である。図に示した○や△の記号は、脳に取り込まれている情報(記憶)を意味する。それらがいかに整理され構造がついているかで、その人の力量が違ってくる。脳内の記憶の構造がついていると、他の記憶との関係が明らかで、探したり組み合わせたりが容易である。新しい情報が入ってきたとき、どこに位置づけるかがわかるし、どういうものが不足しているかもわかる。

A 構造的に整理されている記憶

◎―○―□―◇―△―▽ 
   ●―■―◆―▲―▼
    ●―■―◆―▲―▼

B 整理されていない記憶

    ▼ △ ○
  ■ □ ▽ ◎ ▲
  ● ● ▼ ◇ 
     ■ ▲ ◆

 
 具体的な現象や事実、そしてその背景、土台となる理論,自分自身の経験などが、この図Aのように構造的に関係付けられている脳と、そうでない脳Bおでは、決断や行動を迫られる場におかれたときの働き方の違いは押して知るべしである。

▼ 脳のネットワーク形成を助けるもの
 行動したこと経験したことを記憶していくというのが、脳の働き方の基本システムである。そして、その記憶を分類し関係づけ、記憶のネットワークをつくる。たくさんの経験をし、その行動・経験の記憶がうまく分類整理されてつながっていけば、脳の働きは爆発的によくなっていく。
 脳のネットワーク形成を助けるには、「分類-組み合わせ」型の行動が効果的である。ものごとを、自分で調べ、分類し、構造をつけていくというように行動のしかたは、記憶のネットワークの形成を助け、ネットワーク構造の中に自覚的に情報を取り込んでいくということになるからである。脳が本来持っている働き方と合致するものであるから、脳は働きやすく活発に活動する。バラバラした経験が長い間に整理され、自然発生的にネットワークができていくのに比べ、はるかに速い。
 課題を持って探究的に行動している人間が、ある段階で飛躍的に伸びるのはそういうことである。前回紹介した池谷氏の例もこれである。

▼ 脳の成長をさまたげる学習や仕事のしかた
 原則として、行動すると脳は働き、脳が働けば働いた分だけ神経回路が形成され成長していく。ところが、脳を育てるどころか、脳を衰えさせてしまう学習のしかた(行動のしかた)がある。頑張ればできそうなすこし難しい課題に対しては、脳はやる気を出して活発に活動するが、とても手におえないような難しい課題には、脳は意欲を失って休んでしまうのである。また、やさしすぎる課題に対しても、脳は意欲を示さず、休んでしまうという性質がある。
 たとえば、高校や大学の授業で難しい話を聞いていてわからなくなり、途中で居眠りがでてしまうといった現象。また、わかりきった内容をくりかえし聞かされていて、退屈してしまうという現象。こういったときの脳は、意欲を失って休んでしまっている状態なのである。休んでばかりいると、脳は学習しない(新しい回路ができない)どころか、脳の学習機能そのものが衰えていくということが、様々な例からわかってきた。

▼神童、才子を「ただの人」にしてしまうのは・・・
 脳は行動することによって学ぶ。その人自身の脳が活発に活動し経験しなければ、脳は成長しないのである。子どもの神童・才子ぶりは、多くの場合、まだ本来の機能を発揮する前の脳の、単純記憶による情報収集時代の活動のしかたの現れである、必ずしも本当に脳の働きがすぐれているということではない。そこから、本当の頭の良さに到達するか、ただの人になるかは、ひとえに脳の働き方にあった行動をするかどうかにかかっている。
 本当に賢くなろう育てようと思うのなら、子ども(学習者)の脳がどれほど活動しているかを、考えて見なければならない。学習している(させている)つもりが、脳の成長にとって却ってじゃまになっていないか、見直してみる必要がある。

▼ 中学時代からの学習のしかたが鍵
 特に、中学時代からの学習のしかたが問題である。脳にとって有効な刺激、有効な学習は、年齢によってことなる。10代頃から脳の働き方は、丸暗記型から分類-組み合わせ型へと移行していく。小学校低学年のころ有効だった整理された知識を覚える学習も、10代の脳にとっては有効な刺激ではない。
 中学以降は圧倒的に多い講義型の授業が多い。その授業の中で学習者はどんな行動をし、何を経験しているだろうか。教師の脳だけが活発に活動していて、学習者は教師が整理した結果をただ聞くだけ書き写すだけになっていないか。事実を観察して読み取ることや、資料を集めデータを分析整理する、またその結果を材料にディスカッションするなど、脳に、活発に「分類-組み合わせ」の活動をしている(させている)だろうか。親や指導者たち、また学習者自身は、ぜひそういう視点で学習のしかたを見直してもらいたい。

 30過ぎて、自分は本当に賢くなったと、ぜひとも皆に実感してもらいたいのである。
  
   
 

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19 学習時間と学習効果

 学習者のペースで考えさせたり、調べさせたり、実験させたりすると、時間がかかるという指導者がいる。だから講義方式にするのだという。そうすれば、予定の時間で学習を終わらせられるというわけである。たしかに、話で終わらせれば、教師の思ったとおりの時間で終わらせることができる。しかし、その時間に学習者がどれだけ自分の脳を働かせたかを、考えてみなければならない。

 話を聞いているときには「わかった」と思っても、後になって自分で考えようと思っても考えられない、ということがよくある。それは、わかったと思っただけで、本当にはわかっていなかったのである。
 本当にわかるというのは、話をした人が感じたり考えたりしたことを、自分も同じように感じ、また考えることができるということである。つまり、聞き手が話し手と同様に頭脳を働かせることができた場合に、それを本当にわかったというのである。話し手と同様に頭脳を働かせることができるためには、聞き手が話し手と同じか同じ程度の経験や論理力思考力が必要である。

 「教えれば(説明すれば、あるいはやって見せれば)できる」と考えているとすれば、それは間違いである。脳は、行動したことを記憶するのである。教えるというのは、教える側の行動である。教える人が、自分の経験を材料にして、自分の論理で話を展開する。教えているものの脳は、活発に活動している。自分の経験を整理し、追体験していることになりその行動を成立させるための神経回路(以下、行動回路)に電気信号が行き交う。その結果、その行動回路はさらに確実なものになる。
 それに対して、話を聞いているだけ、見ているだけで、自分のペースで考えず、やってみることもしない学習者の脳には、たいした刺激がいかないので、期待するような行動回路はできていかない。
 話を聞いてそれで行動ができるようになったという人がいるかもしれないが、その場合はもう既にそのことを成立させる要素となる行動回路ができており、それを関連づける視点が与えられたのでできるようになったということなのである。

(参照:13 試行錯誤の脳行動学的意味)

 話の内容や論理を理解するのに必要な経験や、論理を把握する力のない聞き手には、いくら聞いていてもよくわからない。わからないからおもしろくない、だから聞かない、というようなことになる。そういうことでは、いくら予定の時間に学習が終わったといっても、その時間は学習者にとっては無駄であったということになる。
 時間が少ないからこそ、形だけでなく、学習者の脳を思い切り働かせて、本質的な能力と行動姿勢を育てることを考えなければならない。

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18 荒川静香の授業

 ―個人競技も、チームでうまくなる―

 スケートのシーズン。ショーや競技の解説でTVに登場する荒川静香さんを見る機会がよくあるが、私は、以前に見たNHK「課外授業:ようこそ先輩」での荒川さんが強く印象に残っている。母校仙台市立台原小学校の6年生1クラスに2日にわたってスケートを教えたのだが、その指導のしかたが素晴らしかったのである。

● 前に進む姿勢をつくる
 1日目。荒川さんの模範演技の後、子どもたちは早速リンクに出される。経験のある子もいるが、スケートリンクの真ん中に行くだけで一苦労という子もかなりいる。しかし子どもたちには、いっさい手を貸さない。滑れない子にはコーンを渡し、それを押しながら前に進ませる。他人の力を借りるのではなく、自分の足を使って滑らせることがねらいだ。
 荒川さんは、子どもたちにスケート・リレーをするという課題を出す。一人で練習させると、手すりにつかまってなかなか滑らない子もいるが、チームで競争ということになると、前に進むようになるという。自分が滑れるかどうかがチームの成績にかかわってくるので、上達が早いというのだ。

● 目標は順位ではなく、自分たちの記録の短縮
 8人ずつ赤、緑、青、黄の4チームに分け、それぞれしばらく練習をした後、最初のレース。1チームずつ走って、タイムを測る。赤チームには経験豊富な子が数人いるため、断然早い。緑チームには今日はじめてスケート靴をはいたというAさんがいるため、赤チームより43秒も遅かった。しかし、チームワークと応援は一番。練習のときAさんには皆でこつを教え、励ます。応援では、コースの内側を併走して声をかける。
 荒川さんは、レース結果を示し、もう1回レースをすることを告げる。目標は順位ではなく、自分たちの時間をどのぐらい縮めるかということ。いかに協力するかが大切、と子どもたちに語る。そして、練習時間を与える。

● 一番タイムの良いチームにアドヴァイスしたわけ
 練習の様子を見ていて、荒川さんは、ひとつのチームの子どもたちを別室に呼び集める。タイムの悪かった緑チーム,黄チームではなく、一番良かった赤チームである。チームワークが悪いと感じたからだ。他のチームがアドヴァイスしあったりしている中で、このチームは、メンバーがそれなりに滑れるためか、一人一人ばらばらに練習していたのである。「勝つためには、チームの協力が大切」とアドヴァイスする。
 2回目のレースの結果、赤チームもそれなりに記録を伸ばしたが、チームワークの良い緑チームの記録の伸びにはかなわない。12秒差に迫られた。

● 荒川さんの思い
 荒川さんは自分自身の経験から、人に教えることとチームワークの大切さを実感している。かつて、同じスケート教室で学ぶ後輩たちにジャンプの跳び方を指導した。跳べない友達にどうアドヴァイスするか、どう励ますか、それを工夫する過程で自分自身が成長したことを実感している。なぜできないかを考えることが、自分自身に演技をふりかえさせることになり、改めて気がつくことが多かったという。
 2日目、荒川さんは教室で、自分の練習・競技歴とその節目節目での心の動きを整理した年表を見せる。そして、個人競技であるスケートも仲間のチームワークや、多くの人たちからの励ましがあったからこそ金メダルを胸に飾ることができたと語る。子どもたちに「勝つために大事なのは、お互いを思いやる心の結束」とアドヴァイスする。

● 自分たちで問題点を分析、練習 → 最後のレースへ
 授業も大詰め、いよいよ最後のレースに向けての練習だが、その前に荒川さんは、子どもたちに、自分たちのタイムをどこでどう短縮できるか、工夫の余地がある要素を洗い出させ、短縮のための練習のしかたを考えさせる。バトンの渡し方、コーナーの曲がり方、応援の仕方、滑れない子へのアドヴァイスの仕方など、それぞれグループで話し合い、その項目を紙に書き出す。
 その紙を持って再びリンクへ。各グループは練習計画に沿って練習。今度は、どのチームもみな協力し合っている。励ましあっている。
 最後のレースとその結果。各チームそれぞれに記録を更新したが、青チームは21秒短縮で、赤チームを抜いてトップに立った。緑チームは12秒短縮で、赤チームにわずか2秒差まで追いついた。それまで一番タイムの悪かった黄チームは、順位こそ変わらなかったが、短縮時間46秒は1位、最初のレースからは何と2分10秒も速くなった。
 最後に荒川さんは、子どもたち全員の頑張りをたたえ、「一生懸命やればきっとできる。大事なことは決してあきらめないこと。お互いを思いやる心の結束が大切」と結んだ。

●見事な荒川さんの授業、脳行動学の面からのポイントを整理すると・・・

① 「リレー」という共同行動,「チームの記録短縮」を課題として設定したこと
 ・自分一人の問題ではないので逃げられない。前に進むという姿勢になる。
 ・8人チームなので、一人ひとりにとっての気持ちの負担はそう大きくない。
 ・自分が頑張ればチームのタイムが上がるというやりがいもある。
   やり始める事が大事。やり始めるとやる気が出る。
   頑張ればできそうと思えるとき、脳は活性化し意欲的になる。

②チームで教え合うことに力を入れて指導したこと
 ・教えるためには、相手の滑り方を観察するとともに、自分の滑り方を見直すという活動になる。
 ・何気なくやっていることの意味にも気づくことも多い。
   反省的・自覚的に脳を働かすことが、脳の活動として一番効率がよい。

③目標を実現するためのポイントを「チームの協力」とし、適切な時点で、具体的な目標と適切なアドヴァイスを与えたこと
 ・記録の伸びに差が出て、問題意識が芽生えたときに、自身の経験を材料として「チームワーク」の大切さを語った。
 ・チームで具体的な工夫をさせ、確実に成果が出るようにした。
   助け合って良い結果を得られれば、助け合うことが好きになる。
   成長が自覚できると頑張れる。

 荒川さんは、「個人競技もチームでうまくなる」「助け合う仲間づくりこそ、全体の力が伸びる原動力」と教えたのである。助け合い、ともに喜び合える姿勢と手段を育てる。子と画でイメージさせるのではなく、子どもたち自身の活動の結果として、それを実感させたのである。

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16 「わかったか?」と聞くときの心構え 

 我々は「わかる」とか「わからない」という言葉をよく使うが、本当は、「わかったと思う」「わからないと思う」といった方が正しいだろう。

 「わかる」「わからない」という言葉は、説明されたり教えられたりしたときの、その内容に対する理解の状態の自覚的表現だからである。教えられた内容を、すでに自分の脳―神経系の中にもっている言葉であったり、行動感覚であったりするものを手がかりとしてとらえた、その人の自覚の状態を表現したものなのである。
 したがって、「わかったか?」と聞いた側の内容と、「わかった」と答えた側の内容とは、かならずしも一致してはいない。いや、むしろ一致していない方が多いのではないか。説明したり教えたりする側がイメージしている内容や身体感覚と、説明される側、教えられる側が持っているイメージや身体感覚は同じではない。それらは、経験が作り出すものだからである。経験が違えば、作られるイメージや身体感覚も当然異なってくる。

 言葉もまた同じである。「高い山」とか「冬は寒い」といった簡単な言葉でさえ、平原に住んでいる者と山岳地帯に住んでいる者、温かい地域の者と寒い地域の者では、同じ意味を持たない。言葉は、経験と並行して、あるいは経験を整理する中で使われてくるからである。したがって、もっと複雑な内容の事柄、経験を土台にしての理解が必要な事柄を理解するのは、実に大変なことである。
 言葉や図で説明されたことを、それを説明した者がイメージしているのと同じ内容や身体感覚を持つことができるには、説明した者と殆ど同等かそれ以上の行動経験をし、言葉での表現についても同等かそれ以上の経験をしてきているということが必要である。その経験を手がかりとして始めて、推測できるのである。
 
 つまり、説明をして「わかったか?」と聞くときには、相手の経験を見つつ、聞かなければならない。説明の内容についての経験が殆どない場合の「わかったか?」と聞くのは、殆ど意味をなさない。「何についてどうわかったと思っているのか」を確かめる、という姿勢で対応する心構えが必要だ。

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15 「わかる」ということ

 人の話を聞いて「わかった」というのは、「わかったと思った」というだけのことが多い。

 話がわかるというのは、話で使われている言葉がわかるということではない。もちろん言葉の意味がわからなければ、話はわからないのであるが、話の内容が本当にわかるということのためには、もっと多くのものを必要とする。 話の内容というのは、世の中の事実であったり、自然の事実であったりする。また、話をしている人の経験であったりする。話をする人は、その事実を見たり経験したりしたことから感じたこと考えたことを、自分の論理でまた自分の言葉で語っている。話を聞くというのは、その結果を受け取っているということである。

 話が本当にわかるというのは、話をした人が感じたり考えたりしたことを、自分も同じように感じまた考えることができるということである。つまり、聞き手が話し手と同様に脳を働かせることができた場合に、それを本当にわかったというのである。聞き手が話し手と同様に感じたり考えたりすることができるには、話し手と同等もしくはそれに近い行動経験や論理を組み立てた経験がなければならない。なぜならば、感じることや論理を組み立てることは、そうしたことを経験することによって,脳の行動回路に蓄積されていく能力だからである。

 したがって、教師が、自分より経験が少なく論理力思考力が未熟な生徒や学生に、感じたり考えたりする材料や経験する場をつくらず、学習させる内容を講義による説明だけで済ませるということは、行動形成の意味からはほとんど意味がない。

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14 できるとわかる

 「やり方はわかってるんだけど、できない」というようなことがある。

 例えば、自転車に乗る練習、逆上がりの練習、その他何か新しいことを始めたときに、多くの人が経験していることだろう。教えてくれるものは、いろいろアドバイスをしてくれる。しかし、その通りにやろうとしても、なかなかできない。何度も言われると、思わず「わかってるってば!」などと叫んでしまう。しかし、それは「本当にわかっている」のではない。正確に言うと、「わかっていると思っている」「言葉の意味としてわかっている」ということである。行動するときのポイント、考える項目としてわかっているだけであって、行動を成立させるための感覚としてわかっているということではない。

 「行動できる」ということは、身体を使った行動なら、「脳⇔身体(行動表現)」の連携ができているということである。その連携ができたとき、本当にわかったというのだ。できたときの「あっ、この感じ!」と初めてわかるその行動感覚だ。その行動感覚をしっかり身につけたとき、そしてそれを自覚したとき、はじめて本当にわかったというのである。

 数学や科学のような論理的行動の場合で言うなら、教えられた論理を使って自分ひとりの力で対象をとらえ整理することができるということである。教えられた通りに論理をたどるというのではなく、自分ひとりでその論理を使って様々な対象をとらえるという行動をして、それができるようになったときが、本当にわかったときである。

 「わかる」というのは、できたときの行動感覚の自覚なのである。つまり、行動することによってしか本当にわかるようにはならない。「わかるとできる」ではなく「できるとわかる」のである。
 大事なのは、言葉であれこれと説明して、わかった気にさせるようにすることではない。その人が行動して、自分でその行動感覚をつかめるようにするために、行動の仕方をアドバイスすることが大事だと言うことである。

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13 試行錯誤の脳行動学的意味 

●二つの事例
≪ 事例1 ≫
 K大学医学部看護学科、卒業直前、これから看護の現場に出て行く学生たちに、「採血」の予行演習をさせた。2年生のときにしっかりと教えたはずだった。ところが、針のサイズも覚えていないし、正しい持ち方もできない。自信を持って採血できるという学生が、殆どいない。教師たちは愕然とし、残り少なくなった時間の中で、特訓したという。

≪ 事例2 ≫
 一方、T看護短期大学の採血の学習。じっくり時間をかけて学生自身で正しい針の選択と、正しい持ち方を見いださせる。いろいろな太さを針を見る。腕のシミュレータを使って血管の太さを調べて比較してみる。針を紙に刺してみて、針の太さによるあいた穴の大きさの違いを見る。グリセリンを加えて血液の粘度に近くした液をつくり、いろいろな太さの針で吸い込ませ、吸い込みやすさを比較する。そして、腕の動脈からの採血にふさわしい針を選ばせる。針の持ち方についての学習も同様に、自分でいろいろ調べさせ、試行錯誤させ、しっかり固定できる持ち方のポイントを発見させる。教師は答えを教えない。調べ方のアドバイスをしたり、モデル行動をして観察の対象になったりするだけだ。
 他校のように、針のサイズ・持ち方を教師が説明して教え、それを練習させれば、半分以下の時間で学習が終る。なぜ時間をかけて針の選び方,持ち方を探究させるのか。担当していた教授は言う。教師が説明して教えていたときは、その時間内の学習では出来るようになっていても、時間がたつと学生は針のサイズや持ち方を忘れてしまうことが多かった。ところが、この学習方式にしてからは、忘れなくなった。日頃は意識していなくても、その状況に出会えば対象を測定し判断して、自分で正しい針を選択し、正しい持ち方で採血することができるようになったというのである。

●脳の回路を使うほど、そして関連するものが多いほど、確かな記憶となる
 針のサイズや、注射器の持ち方(手の形,指の角度)を教科書で見たり、教師に教えてもらって覚えるというのは、「伝達―受容」型の意味記憶。この意味記憶の場合は、他人の判断の結果をただ受け取るだけで、脳の活動は単純であるから、脳の回路の使われ方が非常に少ない。したがって記憶の量も少ない。
 自分が行動したことを覚えるという記憶のしかたを、経験記憶という。脳は、行動したことは全部経験記憶として蓄積していく。成功したことはもちろん、失敗したことも全て記憶していく。見るだけ聞くだけの場合の脳の使い方(意味記憶)に比べると、自分で調べ、試行錯誤させる学習のさせ方は、そのことに関する脳の回路への刺激の量が格段に多い。さまざまな行動の対象の測定、判断、針の選択や正しい針の持ち方や操作を見出すための試行錯誤、そのときどきで使った脳の回路、それらが複雑に関連している。単純な記憶は、忘れやすいが、複雑に関連した経験記憶は忘れにくい。回路の連関として記憶が形成されるからである。
 加えて、自分で法則をみつけたものは忘れにくい、ということがある。そのときの感動が加わって、強い刺激として脳の回路に残っているからである。感情が絡むと強い記憶となる。感情を司る扁桃体が、海馬に必要な情報として記憶するよう指令を出すと考えられている。

●学習時間と学習の効果
 T看護短期大学のような学習は、一般的には、時間がかかるというので敬遠されている。しかし、教えても覚えていない教育にかける時間の方が無駄なのではないか。学習にかける時間は、単に所要時間だけを問題にするのではなく、学習者の脳の回路をしっかりつくるという観点から、考え直すべきではないか。

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