8 長く見る,じっと見る

 NHK総合TVに「課外授業ようこそ先輩」という番組がある。各地の小学校の6年生1クラスに、いろいろな分野で活躍しているその小学校を卒業した先輩が授業をする様子を描くドキュメンタリー番組である。06年4月、その日の先輩はアートディレクターの長友啓典さん。アートディレクターとはひと言で言うなら広告制作の現場監督。伊集院静の小説の挿絵や装丁、各種広告制作で活躍している人である。後輩は大阪市常盤小学校の6年生。
 長友さんの子どもたちへ課題は、長友さんが準備してきた「TOKIWA」のロゴ入り用紙を使ってのポスター制作。常盤小学校と常盤小学校に通っている自分たち、そして常盤小学校がある町、それをアピールするポスターの制作である。この課題の中で、長友さんが子どもたちの心に、表現したいことを沸き上がらさせていくプロセスをカメラが追う。

 長友さんは授業開始後すぐさま子どもたちを通学路に連れ出す。そして、どこか気になるところを1か所選んで10分間見続けるようにと言う。ぼんやり見るのではなくじっと見る。そのうち心に浮かんできたことがあったら、それを文字に書く。絵は描かない。書いていいのは文字だけである。
子どもたちは始め戸惑っている。何を見たらよいのかわからない。どう見たらよいのかわからない。とにかくじっと見ているように言われ、見続ける。しかしそのうち、子どもたちの心にはいろいろな思いがわきあがってくる。見えてくるものがある。

「何を見ているの?」「どうしてここを選んだの?」 長友さんはその様子を観察しながら子どもたちに質問する。
「道路にひびが入っている。古い道なんだなーって思った。」
「この細い道の向うに私の家がある。だから大好きなの。」
「このお店(床屋)ずいぶん長いことあるなあ。くるくる回る三色の看板、古いけどおしゃれな感じ。」
「ここに来るといつもおいしい(パンの)匂いがするんだ」
「緑が多くて静かだから、大好きな道。でも今は、工事中で通れないので悔しい。」
 毎日一瞬で通り過ぎていく場所を、長く見る、じっと見ることで、他との違いを発見し、自分の思いに気づき、以前の経験が引き出され、そして新たな発見をする。教室に戻った子どもたちは、メモをもとにわが通学路をポスターとして描き始める。
「その絵においしい匂いが表現できない?」「通れなくて悔しいという気持ちを表してごらん」長友さんの言葉に刺激され、子どもたちはそれぞれ自分の心にわきあがった思いを表現していく。街角の上空に浮かんだクロワッサン、緑の小道の入口に立てられた「工事中立入禁止」の看板、光輝く町へと続く細い道、画面3分の1もの大きさで鮮やかに描かれた理髪店の3色ポール・・・・・・。 「絵って自分の気持ちを表現するものなんだね。今まで絵はきらいだったけど、好きになった。」しみじみと子どもが感想を述べる。

 じっと見る。同じ「見る」でも、「ちらっと見る」ということと、「長く集中して見る」ということでは、脳にとっての刺激の質が違う。強い刺激とも違う、長い刺激。脳学者の茂木健一郎氏は「脳は忙しいと考えられない」と言う。脳の中のネットワークに信号が伝わりいろいろ活動するには時間が必要なのだそうだ。同じものを長く見るというのは、その刺激を材料として考える時間を十分に脳に与える、ということなのであろう。
 そして、見たことをすぐに絵に描かないで、言葉でメモするということの意味。絵を描くことと、言葉で表現するということとは、脳としての活動のしかたが違う。見たことをすぐ絵に描くと、単なる写生になってしまうことが多い。脳の働きが、目からの情報と手を動かし絵を描く行動を関係づけることに向かうからである。しかし、見たことを言葉でメモをすると、それによって感情やイメージが大きく深く膨らむ。われわれは生活の中で、言葉を使って考えや感情を整理してきているからである。

 長い刺激は思考を深める。しかし「ちらっ」という見方では脳が働かないかというと、そうではない。ちらっと見るという刺激で働く働き方も、脳にはある。また、1ヵ所だけをじっと見ていたのでは見えない、大きな広がりをざっと見ているからこそ見える、比較するから見えるということもある。毎日自転車で行く通勤路。1ヵ所1ヵ所は一瞬で通り過ぎていくが、その積み重ねで見えてくるものがある。雑草の種類と分布、花の開花と温度や日照の関係、道行く中学生高校生の歩き方や服装に見えるそれぞれの学校の指導力・・・、まだまだいくらでもある。

 脳は、刺激の与え方でいろいろな活動のしかたをするということだ。 刺激の与え方と脳の働き方,働かせ方。そういう視点から学習のしかた(させ方)、行動のしかた(させ方)を見直してみるということが必要ではないか。

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3 ビールは23歳で好きになる

?「嫌い」が好きになるメカニズム?

 2006年夏、或るビール会社が、ビールを「うまい」と感じるようになった年齢は何歳か、という調査を実施した。23歳、それが調査に応じた1万数千人の平均の値である。
 ビールは苦味のある飲料である。晩酌の一杯を楽しむ夫と私に娘(21歳)や息子(18歳)は「こんな苦いもの、どこがおいしいの?」と聞く。まだ苦味を「うまい」と感じる味覚を持っていないのだ。人間は生まれてすぐの段階では、甘い味しかおいしいとは感じない。赤ん坊の口に塩味や辛味、苦味、酸味のあるものを入れると、舌で押し出してしまう。甘み以外の味をおいしいと感じる感覚は、すべて、生まれて以後の食生活の中で獲得していくのである。

 新しい味覚の獲得には、時間がかかる。生後3?4ヶ月で始める離乳食、軟らかいものから硬いものにするばかりでなく、薄味からだんだんと濃い味にしながら、塩味,甘辛味,酸味など色々な味に慣れさせていく。そうして、幼児、子どもの過程を経て大人と同じものを食べられるようになるのには十数年かかる。我が家では下の子が中学生になるまで、大人用カレーと子ども用カレーの2種類を作っていた。薬味の生姜や山葵、辛子を大人と同じように食すようになったのは、中学卒業の頃だった。
 空腹の状態を作り、落ち着いた状況で無理をさせず、繰り返し根気よく慣らしていく。その積み重ねで、いろいろなものが食べられるようになっていく。しかし人参、ピ?マンのように独特の強い香りや味を持つものを嫌い、いつまでも食べられない子どももいる。

 好き、嫌いの感情をつかさどるのは「古い脳」に属する「扁桃体」。「古い脳」とは脳幹や延髄など、生命維持にかかわる働きをする脳の部分を言う。その「古い脳」に属する「扁桃体」は自分の生命にとって安全なもの、心地よいものを好きと感じる働きを持っている。甘い味をおいしいと感じるのは、生命維持のためにDNAに組み込れたもので、赤ん坊が生きるために摂取する母乳、その甘さは安全なもの、自分の生命を守るものであることを、感覚としてとらえられるようになっているのである。
 扁桃体は、短期記憶を必要なものとそうでないものに振り分ける海馬のすぐ隣にある。扁桃体と海馬との間には情報のやり取りがあって、好き嫌いの情報は経験の記憶と結びついて変化していく。楽しさ心地よさ(=安全)とともに経験したものは好きになり、逆にいやな経験と結びつくと嫌いになっていく。

 このメカニズムをうまく使って、児童の野菜嫌いをなくした小学校がある。 人参やピーマンが嫌いな子が多いことを心配した栄養士さんが「宝物探し給食」というものを考えたのである。星型や動物型に切った野菜を各組数人に当たるように準備し、それを入れておかずをつくる。そして、宝物は誰のおかずに入っているかな、とやったのである。すると、子どもたちはその宝物を探すのが楽しくて一所懸命探す。見つかるとみんなの羨望のまなざしの中でその宝物を食べる。その結果、見事好き嫌いはなくなってしまったというのである。

 さてでは、ビールはなぜ23歳で好きになるのか。23歳というのは、学校を卒業して仕事につき少したった頃、仕事の厳しさや、難しさあるいは面白さを感じてきている、そんな頃だろう。前述の調査によれば、それまで「苦い」と感じていたビールを「うまい」と思ったその時の状況は、
   男性は仕事の打ち上げ,風呂上り  女性は仕事帰り,飲み会
 共通するのは、暑い日、よく冷えたビール、友人、仲間である。身体の水分要求に、仕事が終わったときの充実感・開放感と良い仲間が加わったとき、「苦い」が「うまい」に変わったのだ。 楽しい経験と結びつくことで、それまで嫌いであったものも食べられるようになる、好きになる。脳は、安全であること、快であること、そうした情報とともに入った味は良い情報として記憶するということである。このメカ二ズムを、うまく使うと食べ物ばかりでなく苦手なものを克服できる、いや、苦手をつくらないようにすることができる。その方法へのヒントがここにある。

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1 行動の単純化が脳の力を衰えさせる

 脳細胞は、生まれてから3年ぐらいの間は分裂して増えるが、それ以後は減っていくばかりだという。毎日10万個ぐらいずつ減っていくと言われる。人間の脳細胞の数は約150億個。1年で10万×365日=3,650万個、80歳になったころには3,650万×80=29億2000万個、つまり全体の20%が失われることになる。ボケや物忘れはそうした結果の現象というわけである。もっとも、脳はよく使っても15%ぐらいしか使われないというから、20%が失われても残りの部分を使ってきたえることはできるということである。これは年齢的なものであるが、脳細胞の減少は行動のしかたによっても起こるという。

 あるテレビ番組で、最近若い人の脳に異変が起きているという報告があった。若いにもかかわらず物忘れが激しいという、「若年性呆け」が多くなってきているというのである。前日会ったことを忘れている。買い物に出かけて店に着いたら、何を買いにきたのか忘れている。家に戻って家人に聞いてからもう一度出かけたが、店に着いたらまた忘れてしまっているといった例が多く見られる。また、いつもコンタクトレンズなのに珍しく眼鏡をかけているので聞くと、コンタクトをしても片方の目の視力が出ないので眼鏡をかけているのだがまだ見えないと言う。調べてみると、なんと見えない方の目に、コンタクトレンズが2枚入れていた。前日はずし忘れていたところに、重ねて入れていたという。このひとは30台の女性であるが、脳のCTスキャンをしてみると、正常な場合の70%の容量しかない、つまり70?80代の人の脳になっているというのである。

 医師の診断によれば、萎縮の原因は全く病的なものではないという。脳を使わない生活をしているせいだという。脳のどの部分がどの程度活動しているかは、脳の血流量を調べることによってわかる。脳が活動している時は血流量が多くなるからである。血流量が多くなるとその部分の温度が高くなる。サーモグラフィーという道具で脳の表面の温度変化を調べると、脳のどの部分が活動しているかがわかるのである。
 その番組では、いろいろな生活行動における脳の活動量を調べた。すると、掃除機で掃除するのは、箒で掃除するのに比べてはるかに脳の活動量が少ない。文字や記号を見てボタンを押すだけの電卓での計算は、暗算するよりはるかに脳の活動量が少なく、脳の血流量はほとんどあがらない。ワープロで文字を書くのも、手で書くより脳の活動量ははるかに少ない。目的を持って手・指を動かす行動、たとえば、コミュニケーション、編み物、楽器を弾くことやダンスをすること、料理などのような、判断や思考と身体を動かすこととが複合した行動がより脳を活発に働かすことになる。

 生活における行動が、どんどん脳を使わないで済むようになっている。人間同士の付き合いやコミュニケーションも希薄になっている。その中で漫然と生活していたならば、脳は日々退化していくということになる。脳は、使わないでいるとその部分が萎縮していくのである。
 脳を活性化するには、行動を単純化してはいけないということである。「見ているだけ」「聞いているだけ」「覚えるだけ」の学習をして(させて)いないか。考えさせずに、指示したことだけをやらせていないか。一人孤独に仕事や勉強をして(させて)いないか。脳を働かせているのは、上司、教師、親だけになっていないか。
 私たちは、真に脳を活動させているかという視点で自分の行動や生活のあり方を見直してみる必要がある。また、人を動かす立場にある人、人を育てる立場にある人は、相手の脳を真に活動させているかという見地で、仕事や学習の内容や方法を考えてみる必要があるのではないか。

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