29 失敗の修正,失敗の克服によって成長する

 「負けが金メダルにつながった。」
レスリングの吉田沙保里選手が、北京オリンピック金メダル獲得後のインタビューに応えた言葉である。
2008年1月のワールドカップ団体戦で、アメリカ選手に負け、連勝記録(119)がストップした。
 タックルを返されて負けたのである。タックルをするときの自分の癖を読まれていた。そこからタックルの修正をしたという。
 「タックルにとびこみ、片足をとった後、横に回りこむようにした。」
 「負けていなければ、自分の弱点に気がつかなかった。」
 失敗を修正することによって、より高度な技術(わざ)を生み出したのである。

 トリノ五輪で金メダルを獲得したフィギュアスケートの荒川静香選手も、失敗を修正した経験が大事であったと語っている。
 「あのつらい時期があったから、今の私がある。 同じようなことがあったら、その時間を大事にしたい。」

 また、女子レスリングの浜口京子選手は、アテネオリンピックで銅メダルをとった後の会見で、次のように語っている。「もっときれいに輝くメダルが欲しかったんですが、私の人生の中で金メダル以上の経験をさせてもらいました」
 その経験とは、敗退から3位決定戦までの短い時間の中で気持ちの切り替えをしたこと。周りも本人も金メダルを確実視してきた、そういう状況下での準決勝敗戦。3位決定戦に勝つために、敗戦による精神的ショックを打ち払い、闘争心を奮い起こした。そういう場におかれて、チャレンジして乗り越えたこと。その経験が、浜口選手をさらにつぎの目標へ向かう姿勢を生み出したのである。

 失敗を失敗のままに終らせておいてはいけない。「いやな思い出」のままに終らせてはいけない。
 失敗したことがいやな思い出になり、そのことを避けるようになってはいけない。立ち直れないような失敗(挫折)をさせてはいけない。
 失敗を克服して、失敗から学んだことが多かった、良かった、自分のためになったという経験をさせなければいけない。失敗したことを克服したい、と思うように育てる。 失敗の克服が、よい思い出(充実感・達成感=快)になるように支援することが、指導する立場の者たちの目標だ。

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25 千回の素振りか、あれやこれやの10回か

▼ 指導者によって、教える内容が違う・・・
 指導者によって言うことが違うので困る、どっちが正しいのかわからない、といった話をよく聞く。また、同じ指導者でも言うことがクルクル変わるので困る、という話も聞く。
 表題に揚げた例は剣道の話である。素振りというのは竹刀や木刀を空中で振り下ろす練習で、剣道界では大変重視されている。「振り千」という、千回の素振り練習を意味する用語があるほどである。しかし、その一方で、「あれやこれやと試行錯誤しながらの10回の方が、意味がある」と説くものもいる。古武道家の甲野善紀氏である。この相矛盾する2つの教え、いったいどちらが正しいのか。

▼ 「あれやこれやの10回」の意味
 「あれやこれや」というのは、研究的にやれということである。自分の技の問題点を客観的に見つめて、自覚的に練習せよということである。きちんと正しい振り方もできていないものが、無思考的に振っているのは意味がないばかりか、疲れるだけで練習の意欲を失わせることさえある。自己流に振ってへんな癖がついてしまうこともある。だから、名人達人の振り方と自分の振り方とを比較するなどして、どういう振り方がよいのか研究することが大事だというのである。

▼ 素振り千回で育つもの
 では、「千回」には意味はないのか。「千回」というのは、「練習量が大事」という意味をこめた言葉である。練習の「量」というのは、行動を成立させるためにどのような意味を持っているのだろうか。
 あれやこれやと試行錯誤し、理にかなった構え、身体の動かし方をつかんだとする。しかし、これだと思ったその一回だけでは、その構えやからだの動きは定着しない。脳の中にできた記憶回路の興奮状態も時間がたてば消えてしまう。何回も練習を重ね、脳と身体の各部との間に信号を何回も行き来させることにより、その行動のしかたの記憶回路が確固たるものになるのであり、またその行動を支える身体作りもできていく。練習の量は、行動の成立に非常に大きな意味を持っているということである。  
 「千回」も「あれやこれやの10回」もどちらもシンボル的言葉で、厳密に「千回」「10回」なのかはわからないが、結論を言えば「千回」も「10回」もどちらにも意味がある、どちらも必要ということだ。それぞれ問題にしていることが違うのである。

▼ 指導の意味を読み取る
 要は、場の条件や目的によって、また指導される人の状況・状態によって、学習させる方法、鍛える手段は違ってくるということだ。
だから、指導者の言うことが前に言われたことと違う、矛盾していると感じるときは、その指導が何を問題にしているのかを考えてみることだ。違うように見える(聞こえる)というのは、指導の内容、育てようとしていることが違うからである。

 たとえば、「もっと考えてやれ」と言われたとき、これはまだ、「あれやこれや」と試行錯誤して理にかなった行動のしかたをつかめ、ということなのだ。逆に「考えるな」「無心でやれ」などと言われたとき、これは、もう十分練習して(剣道で言えば千回の素振りをこなしてきて)理にかなった基本的な行動のしかたは身についているのだから、あれこれ考えず、とにかく相手の動きに反応して身体を動かせ、ということだと読み取れる。前に指導されたときの自分と、今の自分の違い、指導されたときのそれぞれの場の状況はどういうものであったか、自分の行動はどうであったかを考えてみると、きっとそうしたことが読み取れるだろう。そして、指導者が、どんな能力を鍛えようとしているのかを、読み取ることができるだろう。
 もうひとつ、指導の矛盾を感じたときにやってみることは、とにかく言われたとおりに素直に行動してみること。やってみて考えることである。やってみてできるようになると、そのことの意味がわかるようになるからである。

▼ 指導者の心構え
 指導者は、学ぶもの(学習者)に対し、そのものの課題と、そこまでのおよその段階、そして直近の学習(練習)の具体的な目標を分かりやすい形で示すのが望ましい。学習(練習)の見通しを示すということである。そうすると効果的な指導を展開することができる。人間の脳は、目標が見えること、頑張ればそこに到達できそうだと感じたとき最も意欲的になる、という性質を持っているからである。
 
参照:11「わかるとできる」ではなく「できるとわかる」
    15 脳が意欲的になる条件

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▼ 宮本武蔵の鍛錬
 宮本武蔵は、練習量が大事と説いている。「千日の鍛」「万日の錬」という言葉で、その重要性を説いている。「朝に鍛、夕に錬」という言い方もしている。彼の時代には竹刀はなく、練習に用いる道具は木刀であった。重い木刀を持っての毎朝、毎夕の鍛錬である。毎日重い木刀を振りつづけていると、その人の身体はどうなるか。筋肉がつき、心肺能力が鍛えられ、木刀を自在に操れるようになる。身体も早く動くようになる。目的はそこにあった。
 しかし彼は、単に練習量だけを問題にしていたのではない。「たち(太刀)の取りようは、大ゆびひとさし(親指人差し指)を浮くる心にもち、たけ高しめずゆるまず、くすし(薬)ゆび小ゆびを締むる心にて持つ也」「足の運びようの事、つま先を少し浮けて、きびす(かかと)を強く踏むべし」というように、理にかなった構え,身体の使い方についても研究を尽くし、客観的な目をもって自分の技をとらえていたということがわかる。

参照:日本武道全集第1巻『五輪書』人物往来社,1966年

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18 荒川静香の授業

 ―個人競技も、チームでうまくなる―

 スケートのシーズン。ショーや競技の解説でTVに登場する荒川静香さんを見る機会がよくあるが、私は、以前に見たNHK「課外授業:ようこそ先輩」での荒川さんが強く印象に残っている。母校仙台市立台原小学校の6年生1クラスに2日にわたってスケートを教えたのだが、その指導のしかたが素晴らしかったのである。

● 前に進む姿勢をつくる
 1日目。荒川さんの模範演技の後、子どもたちは早速リンクに出される。経験のある子もいるが、スケートリンクの真ん中に行くだけで一苦労という子もかなりいる。しかし子どもたちには、いっさい手を貸さない。滑れない子にはコーンを渡し、それを押しながら前に進ませる。他人の力を借りるのではなく、自分の足を使って滑らせることがねらいだ。
 荒川さんは、子どもたちにスケート・リレーをするという課題を出す。一人で練習させると、手すりにつかまってなかなか滑らない子もいるが、チームで競争ということになると、前に進むようになるという。自分が滑れるかどうかがチームの成績にかかわってくるので、上達が早いというのだ。

● 目標は順位ではなく、自分たちの記録の短縮
 8人ずつ赤、緑、青、黄の4チームに分け、それぞれしばらく練習をした後、最初のレース。1チームずつ走って、タイムを測る。赤チームには経験豊富な子が数人いるため、断然早い。緑チームには今日はじめてスケート靴をはいたというAさんがいるため、赤チームより43秒も遅かった。しかし、チームワークと応援は一番。練習のときAさんには皆でこつを教え、励ます。応援では、コースの内側を併走して声をかける。
 荒川さんは、レース結果を示し、もう1回レースをすることを告げる。目標は順位ではなく、自分たちの時間をどのぐらい縮めるかということ。いかに協力するかが大切、と子どもたちに語る。そして、練習時間を与える。

● 一番タイムの良いチームにアドヴァイスしたわけ
 練習の様子を見ていて、荒川さんは、ひとつのチームの子どもたちを別室に呼び集める。タイムの悪かった緑チーム,黄チームではなく、一番良かった赤チームである。チームワークが悪いと感じたからだ。他のチームがアドヴァイスしあったりしている中で、このチームは、メンバーがそれなりに滑れるためか、一人一人ばらばらに練習していたのである。「勝つためには、チームの協力が大切」とアドヴァイスする。
 2回目のレースの結果、赤チームもそれなりに記録を伸ばしたが、チームワークの良い緑チームの記録の伸びにはかなわない。12秒差に迫られた。

● 荒川さんの思い
 荒川さんは自分自身の経験から、人に教えることとチームワークの大切さを実感している。かつて、同じスケート教室で学ぶ後輩たちにジャンプの跳び方を指導した。跳べない友達にどうアドヴァイスするか、どう励ますか、それを工夫する過程で自分自身が成長したことを実感している。なぜできないかを考えることが、自分自身に演技をふりかえさせることになり、改めて気がつくことが多かったという。
 2日目、荒川さんは教室で、自分の練習・競技歴とその節目節目での心の動きを整理した年表を見せる。そして、個人競技であるスケートも仲間のチームワークや、多くの人たちからの励ましがあったからこそ金メダルを胸に飾ることができたと語る。子どもたちに「勝つために大事なのは、お互いを思いやる心の結束」とアドヴァイスする。

● 自分たちで問題点を分析、練習 → 最後のレースへ
 授業も大詰め、いよいよ最後のレースに向けての練習だが、その前に荒川さんは、子どもたちに、自分たちのタイムをどこでどう短縮できるか、工夫の余地がある要素を洗い出させ、短縮のための練習のしかたを考えさせる。バトンの渡し方、コーナーの曲がり方、応援の仕方、滑れない子へのアドヴァイスの仕方など、それぞれグループで話し合い、その項目を紙に書き出す。
 その紙を持って再びリンクへ。各グループは練習計画に沿って練習。今度は、どのチームもみな協力し合っている。励ましあっている。
 最後のレースとその結果。各チームそれぞれに記録を更新したが、青チームは21秒短縮で、赤チームを抜いてトップに立った。緑チームは12秒短縮で、赤チームにわずか2秒差まで追いついた。それまで一番タイムの悪かった黄チームは、順位こそ変わらなかったが、短縮時間46秒は1位、最初のレースからは何と2分10秒も速くなった。
 最後に荒川さんは、子どもたち全員の頑張りをたたえ、「一生懸命やればきっとできる。大事なことは決してあきらめないこと。お互いを思いやる心の結束が大切」と結んだ。

●見事な荒川さんの授業、脳行動学の面からのポイントを整理すると・・・

① 「リレー」という共同行動,「チームの記録短縮」を課題として設定したこと
 ・自分一人の問題ではないので逃げられない。前に進むという姿勢になる。
 ・8人チームなので、一人ひとりにとっての気持ちの負担はそう大きくない。
 ・自分が頑張ればチームのタイムが上がるというやりがいもある。
   やり始める事が大事。やり始めるとやる気が出る。
   頑張ればできそうと思えるとき、脳は活性化し意欲的になる。

②チームで教え合うことに力を入れて指導したこと
 ・教えるためには、相手の滑り方を観察するとともに、自分の滑り方を見直すという活動になる。
 ・何気なくやっていることの意味にも気づくことも多い。
   反省的・自覚的に脳を働かすことが、脳の活動として一番効率がよい。

③目標を実現するためのポイントを「チームの協力」とし、適切な時点で、具体的な目標と適切なアドヴァイスを与えたこと
 ・記録の伸びに差が出て、問題意識が芽生えたときに、自身の経験を材料として「チームワーク」の大切さを語った。
 ・チームで具体的な工夫をさせ、確実に成果が出るようにした。
   助け合って良い結果を得られれば、助け合うことが好きになる。
   成長が自覚できると頑張れる。

 荒川さんは、「個人競技もチームでうまくなる」「助け合う仲間づくりこそ、全体の力が伸びる原動力」と教えたのである。助け合い、ともに喜び合える姿勢と手段を育てる。子と画でイメージさせるのではなく、子どもたち自身の活動の結果として、それを実感させたのである。

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2 教えない方が、選手はのびる

 落合選手やイチロー選手を指導し、水島新司氏の野球漫画「野球狂の歌」の中に実名で登場するほどの名コーチ、高畠導宏氏(故人)の言葉である。指導しない方がよいという意味ではない。指導にはタイミングが必要だということである。コーチは選手の欠点に気づくとすぐあれこれと注意してしまいがちである。しかし、選手自身がそのことの重大性に気づいていないときや、まだ自分でできると思っているときには、右から左に聞き流されたり、逆に反発されたりしてしまう。だから、一方的にがみがみ言っても効果がないという。効果があるのは、向こうから相談に来たときだという。相手が、聞きたいという姿勢になったときに初めて、こちらの意見が相手に受け取られるということだろう。

 学習は、学習者が主体的に行うときに最も効果をあげる。学習の主体である脳の活動の本質が主体的、自発的であるからである。ただ聞いているだけの受身の学習では、脳は活動を停止させ、ときには全く休んで(眠って)しまうこともある。学習は、基本的には学習者が自分でやるものなのである。指導者が一方的に指導しても、それは相手には吸収されないということである。

 相手がやってくるまで待つ。高畠氏は、それを忍耐というが、ただぼんやりと待っているのではなく、絶えずその選手のことを観察し、今相手には何が必要かということを分析している。そうしておいて、選手の姿勢の変化を「待つ」のである。相手の姿勢を読み取ること、また、相手に学習すべきことを自分の問題として意識させること、そして、そのことを学びたいという姿勢を起こさせること、そのための場作りと働きかけ、それが、目標の知識・技術を指導するテクニックと同じぐらい、いやそれ以上に必要だということである。

 プロ野球界を離れた後、高畠氏は九州の高等学校で社会科の教師になった。氏が講演をした折に高校生たちの目標のない投げやりな心の状態にふれて、この子たちのために自分にできることがあるのではないかと転身したという。高畠氏の出席簿には生徒の名前の横にその生徒の将来の希望が書き込んである。折にふれそのことを話題にし、そして生徒がどう向かっているかを絶えず見守っているのだという。「見守っているよ」というメッセージを出しながら見守る、それがこの人に聞きに行こうという気にさせたのである。

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