日時:2007年10月27日(土)午前9時30分~午後4時
水海道側からご出席いただいた方々:倉持正,飯沼敦,大久保団次,飯村一男
研究会メンバー:矢口(み),榊,越川,北村,小澤
(以下、矢口(み)氏の研究会記録を転載)
台風20号が伊豆から鹿島灘を時速35キロで駆け抜けたこの日は、天気が大荒れ。にもかかわらず、倉持,飯沼,大久保,飯村の四先生が集まってくださった。感謝!当時の話をいろいろと伺うとともに、長時間にわたって資料整理を手伝っていただいた。
?1.四先生の話から
・倉持(理科)、飯沼(算数)、大久保(国語)、飯村(社会)の主要4教科の教師が集まったと、倉持氏。
・大久保氏は、菊地さんの担任。守谷の方に移られたので、水海道小へは20何年(?)ぶり
・飯村氏は、4人の中で一番最後まで学校におられ、猪瀬資料をキャビネットに収めたときの担当者とのこと。(おかげで、だいぶ事情がわかってきた。)フィルムライブラリのありかも判明。
・フィルムライブラリ活動について 学校から電話で申し込みを受ける。アルバイトの高校生に、フィルムの配達をさせた。フィルムは当時30万円した。後援会の予算で買っていた。 フィルムライブラリのリストは学校にあるのではないか。(要確認)
・矢口先生の指導について
「これでよしと思って、矢口先生のところに持っていくと、『これでいいかな?』と言われるともうおしまい。またやり直し。」 *話の様子はビデオ撮影してあるので、現在文字データ化中(榊氏)
2.フィルムライブラリ確認
・2階中央通路の両側が映像ライブラリ。片側の4つ(?)のキャビネットに16ミリフィルムがぎっしり収まっている。数はざっと見て300本。(反対側の棚にはビデオ)
・フィルムには、1本ずつに貸出し記録が付いていて、授業での利用のしかたなどを記入したという。数冊の貸出し記録確認。他の貸し出し記録は、フィルムケースの中か?(要確認) 貸出し記録からは、どのように利用されていたのかがわかるので興味深い。(要調査)
3.歴史の部屋の資料を確認
前回の調査により作成した資料リストに欠落している資料(猪瀬ナンバー付き資料の約30点ばかり)を探す。約10点を確認。主として、アルバム類。
4.重要資料のリスト作成と、収蔵場所の確保
猪瀬先生の資料を中心とした、昭和23~40年代の教育実践に関する重要資料の確認と、大まかな分類整理(内容の種類別)をした。またそれらの資料群を、ひとつのキャビネットにまとめて収蔵、仮のラベルをつけた。
5.帰り道
倉持先生と、大久保先生に守谷まで車で送っていただいた。黄昏時の上、激しい雨で前方がよく見えず、高齢の先生方の運転には危険な状態。事実、倉持氏が2度ほど右折の箇所を間違えだいぶ大回りした。先行した大久保車組は20分近くも吹きさらしの守谷駅で待つ羽目に。日の短い冬場と天気の悪い日は早めに終える必要あり。(守谷駅の飲食コーナーで、暖かい麺を食べて元気を回復、帰途に着いた。男性二人はなんとビールまで飲んでいた。)
守谷駅駅南流山からの武蔵野線は、台風の影響で遅延。西船橋方面はすぐ来たが、埼玉方面は30分近くも待ったし、減速運転で大幅遅れだった。(皆さん、ご苦労様でした!!)
●調査後の動き
○資料リストの作成
第2回調査で確認できた資料のデータを追加、分類再構成して「水海道小学校保存資料リスト」を作成。(10/30み作成)発行年、著作者を確認できていないものもかなり残っている。また、先日目次等を書き出したものは、まだ一部の資料にとどまっている。内容を明らかにし、実践の実態を明らかにしていくためには、まだ道のりは長い。腰をすえて進める覚悟が必要。
とりあえず、今回整理したリストをもとにどのように調査研究を進めていったらよいか、次回の研究会で話し合うものとする。
○四先生及び水海道小学校に、協力御礼と調査結果の報告(10/31)
保存資料リスト同封の上、四先生及び水海道小学校(校長宛)に礼状送付。水海道小学校には、資料の整理状況とともに収蔵場所の移動をしたことについて報告して、了解を求めた。
○倉持先生からメールが届く(11/2)
矢口みどり様
先日は20号台風の中ご苦労様でした。
本日「水海道小学校歴史的資料リスト」受領いたしました。
知らない人にとっては猫に小判、ごみの山と思われかねません。今回整理の手が入り、その重大な価値と貴重さがわかり、しかも分類整理され、人の目に触れることが出来るようになったことはまず一歩大きな前進と思います。ありがとうございました。
あの翌日、教育長と会いまして、大久保、飯沼、飯村氏も同席し能研の先生方5名出席で終日資料の整理をしたことを報告しましたら、私も行くんだったなあと感謝しておりました。
まずは御礼まで。
■次回研究会 11月25日(日)13時より