31 集中と繰り返し

生卵が割れるようになるのは、平均11歳

 ある教育研究所の調査結果では、生卵を割れるようになるのは平均年齢11歳であるという。11歳といえば、5年生か6年生である。小学校の教師修学旅行の説明会で、保護者から「割れないので朝ご飯に生卵は出さないでほしい」という要望が出ることは珍しくないという。
 『噂の東京マガジン』というTV番組に、街中に出て、このぐらいはできてほしいなと思うことを周囲の人にやってもらうという「やってトライ」というコーナーがあるが、ここで卵割が取り上げられたことがある。トライした50人の子どもたちのうち、ちゃんと割れた子は21人、約4割だった。
 生卵を割るというような簡単なことが、どうしてそんなに大きくなるまでできないのかと思われるかもしれないが、これが意外にも多く、先日も、高校生になっても卵割りができなかったという女性のブログを読んだ。「割れても『ぐしゃっ』という割れ方で、手が卵まみれになり、手元にふきんがないと割れないような状態だった」と彼女は書いていた。

卵割りは1日でできる

 生卵を割るという行動は、卵を茶碗のふちなどのような硬いものに軽くあてて殻にひびを入らせ、ひびのところで殻を両側に開き中身を出す、という単純な行動である。我が家の子どもたちは、娘は4歳、息子は6歳で割れるようになった。それも1日で。5年生6年生でもできない子もいるのに、どうして1日で、と思うかもしれないが、1日だからできるのである。
 「なのに」ではなく「だから」である。卵割りは、集中して5個ぐらい続けて割れば、たいていの子どもができるようになる。多くてもせいぜい10個である。

練習のプロセス

 まず、できる人が卵割を1,2回ゆっくりやって見せ、卵割り行動を構成している要素をつかませる。硬いふちのようなものでたたき殻にひびを入れること、ひびのところを両側に広げること、そしてそれぞれのときの手の使い方などである。
練習をさせるときは、それぞれの行動の感覚をつかませることを心がける。

 ・ひびを入らせるときの強すぎず弱すぎずの力の強さの加減 
 ・たたいた瞬間に止めるような力の入れ方の感覚
 ・十分なひびが入ったときのグシャッという抵抗感の変化の感覚

 無論最初からうまくいくことはあまりない。失敗を修正していくことでできるようになっていくのである。うまく短時間で修正し、成功に近づけるには、失敗した記憶が残っているうちに、修正行動をさせる必要がある。たたく力が弱くひびが入らなかったら「もう少し強くたたいてごらん」、逆に強すぎたら「もう少し弱く」、ひびが入ったときの感じを判断できない子には、割る前の卵を軽くふちに当てさせそのときの抵抗感を感じさせておき、たたいたときその感じが変わることを観察させる。「今のグシャッという感じわかった?」というように。
 成功した場合は、その行動の感覚が記憶に残っているうちに、繰り返させる。確実にできるようになるまで繰り返させる。
 文章で書くと大変な行動のようであるが、前述したように、多くても10個もやってみればできるようになる。いくら割ってもいいよ、と20個ぐらい用意して気を楽にさせてやれば、効果も上がる。

1週間に1個では、割れるようにならない

 生卵が割れない子どもたちは、卵割りをする機会はどれほどあったのか。ご飯に生卵をかけて食べるときだけ、それも自分の分だけというようなことではなかったか。
 卵かけご飯を毎日食べる場合でも、1日1個である。小さな子どもが、自分の失敗行動の問題点を自覚していて、翌日にその行動を修正するというようなことは、なかなか難しい。1週間に1個、1ヶ月に1個ではなおさらである。5年たっても、卵割りはできるようになるとは言えない。
 
集中と繰り返し ― 技術を早く確実に身につけるためのポイント

 この話、何も生卵に限ったことではない。どんな行動,技術の習得についても言えることである。
 人間の脳は学習型の脳である。行動したときに働いた神経回路の興奮が残る。それが行動の記憶であり、それを蓄積していくことで様々なことができていくようになっている。脳は、成功行動だけ区別して記憶してくれるわけではない。初めての行動のときは、たいていは行動がうまくいかないので、回路にその記憶が残る。その失敗回路の記憶を材料として行動を修正していくことで、できるようになっていくのである。
 うまく短時間で失敗を修正し、成功に近づけるには、失敗した記憶が残っているうちに、修正行動をさせる必要がある。そのことを忘れたころにやったのでは、意味がない。つまり、練習は集中して行う必要があるということである。
 また、記憶回路は何度も引き出すことで確実になる。その回路を何回も働かせるほど、その回路への信号はスムーズになり、記憶が強固になっていく。だから、行動が成功したら、その記憶(行動感覚)が残っているうちに、何度もその行動を繰り返し練習し、成功回路を強固な確実なものとしておく必要がある。繰り返し練習の意味はそこにある。

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30 冷静に対応する

「冷静に」「落ち着いて」と言われても・・・

 今年の5,6月、「冷静に」「落ち着いて」の言葉が飛び交った。国内で初めて新型インフルエンザの感染者が確認された5月1日以降、舛添厚労相は連日のように早朝や深夜に緊急記者会見を開き、対応の仕方について語った。「症状があった場合はいきなり病院には行かず、保健所や相談センターに電話するように。落ち着いて対応してほしい」と繰り返した。会見は各局のTVニュースで、何回も放映された。
 横浜市の高校生が直接病院を受診したために感染拡大の危険性が心配された際、長時間電話が通じなかった横浜市に対し、「危機管理の体をなしていない」と厳しく批判した舛添大臣に、中田横浜市長が「国民に落ち着くように呼び掛けているが、大臣自身こそ落ち着いた方がいい」と反撃する一幕もあった。 
 もう一つ、やはり新型インフルエンザ関連。政府が2億8783万円をかけて作った、新型インフルエンザへの対応のしかたについてのテレビCM。麻生首相が「政府や自治体が発表する情報に注意し冷静な対応をお願いします」と呼びかけたもので、5月19日から6月1日まで毎日全国に放送された。
 そしてまた8月、静岡での震度6地震発生に際しての県知事が県民に呼びかけた言葉、これも「落ち着いて」であった。

「冷静に対応する」とはどういうことか

政府が繰り返し要請した新型インフルエンザへの「冷静な対応」に対しては、「『冷静に』と言われてもどうしてよいかわからない。具体的にはどうすることなのか」と、TVの報道番組の司会者が対策の専門家に質問していた。「情報をとって、しっかり準備するということです」と専門家は答えた。しっかり準備してあれば、冷静に対応できるというのだ。
しかし、準備というのは何か。薬やマスクというものの準備だけではないはずだ。情報の取り方も含めて、そうしたときの行動のしかたを身につけておくということであろう。
 「冷静」の反対は「動揺」「あわてる」、それが極端になると「パニック」になる。「あわてる」「パニック」は、どうしたらおこるか。それを解析してみると「あわてない、パニックにならない」つまり「冷静に対応する」という行動のしかたが生み出せる。

対応の仕方を行動力として身につけておくこと

 脳は日々情報を取り、それを分類整理して脳の記憶回路にネットワークをつくって管理している。あわ
てる、パニックになるというのは、それができなくなるということだ。急激に、それまでにない、自分の行動のしかたや生活(時には命)を脅かすような情報が入ると、危険安全への対応をつかさどる扁桃体が働いて脳内にアドレナリンが過剰分泌され、必要ない神経回路まで働いてしまう。脳が混乱し、必要な情報を整理することができなくなるということである。
 それに対し、自分がつぎにとるべき行動が予測できる、そしてその行動が、自分にとっては手馴れたものであること、もしくはそう困難なことではないことだと認識できれば、アドレナリンは過剰に分泌されず、脳の回路は平常どおりに働くことができる。
 ここで大事なのは、この対応のしかたは単なる知識ではないということだ。行動力として身につけておくということだ。危機的状況に関する情報をとる習慣をつけること、その情報を整理していつでも取り出せるようにしておくこと、そしてことが起こった場合の行動のしかたをシミュレーションし、自分のものとしておくところまでやっておけば、言うことはない。

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27 「なのに」と「だから」 その2

 おとなしい兄ときかん気の弟(あるいはその逆)。 上の子は食べ物の好き嫌いがあるが、下の子にはない(あるいはその逆)。「兄弟なのに」どうしてこう性格が違うのか。よく聞く話であるが、これも「兄弟なのに」ではなく、「兄弟だから」と考えるべきだろう。

 兄弟だということは、一人ずつ育つのとは絶対的に異なる条件がある。兄には年下の弟がおり、弟には年上の兄がいるということである。兄は、弟が生まれるまでは一人で育てられる。親に自分ひとりが世話されるという経験をしているのである。そこに弟が生まれる。親が、自分以外のものの世話をし、愛情をかける。自分と親の関係の中に入り込んできた新しいものとしての「弟」の存在を意識して育つ。また、新しい存在である「弟」に対して働きかけたり、「弟」から自分への働きかけに対応していく中で育っていく。
 
一方、弟の方は、始めから年上の兄がいる状況で、兄の行動を見て育つ。兄が自分に対する行動(世話であったり、攻撃であったり)を受けて育っていくのである。こうした経験がそれぞれの脳を育てていくのである。

 親の接し方も一人目の子と、二人目の子は違う。親として始めての経験であるひとり目の子育て、その経験を踏まえての二人目の子育て。病気になったとき、けがをしたとき、隣の子とケンカをしたとき、始めてのときと、経験を踏んできたときとでは対応が違うのである。
 こう考えると、違うのが当たり前で、同じになるほうが不思議というものである。

 「何回もやっているのに」「初めてなのに」「一番若いのに」「女の子(あるいは男の子)なのに」・・・・・・・・・というように、いままで「○○なのに」と考えてきたことは、実は「○○だから」であるということはかなりあるのではないか。逆に、「××だから」は実は「××なのに」である、ということもあるだろう。
 人の行動をみるとき、先入観で判断せずに、脳にどのような経験をさせてきたかという視点で、その人の行動を成立させてきた背景をとらえてみることが大切だということだ。そうすると、その人を理解するための視界が開けてくる。

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26 「なのに」と「だから」

 脳の働きに目をつけて人間の行動をみるようになると、それまでの概念を改めなければならない思うことがしばしば起こる。従来は「○○なのに」と考えてきたことが、そうではなくて、実は「○○だから」だったのだと、まったく逆にとらえなくてはならなかったことに気がつくことがある。

 たとえば、子どもが暗がりを怖がって、一人では行かれないというようなことがある。そんなとき、周りのものは、つぎのような対応をすることが多い。
   Mちゃん、お二階が怖いなんておかしいよ。もう一年生でしょ。
   Kちゃんはまだ3歳なのに、一人で行かれるよ。
   Mちゃんはお兄ちゃんなんだから、一人で行かなくちゃだめじゃないの。
 
 ところがこれは大間違い。実はKちゃんは「まだ3歳だから」暗いところに行かれるのである。怖いもののイメージができていないからである。「怖い」という感情が育っていないのである。ところが小学校一年生のMちゃんには、大人の話を聞いたり、本を読んだり、TV番組を見たりする中で、脳の中に怖いもののイメージが出来上がっている。その脳が働いて、電気のついていない薄暗い2階の部屋と、怖いものとを結びつけるのである。

 つまり1年生のMちゃんは、「怖い」という感情をつくるために十分な経験をしたということである。怖がるということは、その子がそれだけ成長したことを示すものなのである。叱るより、この子の脳にはいろいろな情報が入ってきたな、ととらえるべきなのである。第一、叱っても脳の中のイメージが修正されるわけではないから、無意味である。怖がらないようにさせたいのなら、怖がる必要がないという新しいイメージを脳の中につくるために、どういう経験をさせたらよいかを考えた方がよいということである。

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20 「口中調味」ができますか?

 口中調味とは、おかずとごはんを交互に食べ、味を混ぜ合わせて食べるということである。口中調味は日本人独特の食べ方で、欧米人にはなかなかできず、例えばカツ丼を食べるという場合、カツだけ先に食べてしまいその後で残ったご飯を食べるという例が多いという。一緒に食べると味がよくわからないという人もいるそうだ。欧米人は、その食生活のなかで主食とおかずを別々に食べてきたために、混ぜて味わうという行動回路が脳の中にできていないからである。

 「行動したことが、行動できるようになる」のであって、「行動しないことは行動できない」ということである。行動というのは、必ずしも身体を動かすということではない。脳への刺激となる人間の活動すべてを意味する。同じ文章でも、「聞く」、「目で読む」、「声に出して読む」、「紙に書く」では脳へ刺激、神経回路への電気信号の流れ方は違うのである。さらに、その文字で書かれたことを、実際に身体を使って行動するのとでは全く違う。つまり、口中調味の仕方についての話を聞いただけで、実際にそのこと(口中調味)が出来るということはないということである。

 日本でも、最近口中調味ができない子どもがふえてきたという。「ばっかり食べ」といって、おかずならおかずばかり食べ続け、つぎは味噌汁だけをのみ、ご飯はご飯だけで食べるという食べ方をする。これは日本の家庭における食のあり方が変わってきたことを物語っている。子どもたちが口中調味と言う食べ方を経験する環境がなくなってきたと言うことである。口中調味をしなければ、口中調味を成立させるための記憶も成立しないからである。

 昔は三世代同居で「箸の上げ下ろしにもうるさい」祖父母や親がいて、そうした中で口中調味をする能力が育ってきた。そういう環境が失われてきたということである。家庭に口中調味が重視する人(世代)がいない、もしくは口中調味が重視する人とともに食事ができないという環境にあり、食べ方を指導されることが少なくなっているということを示している。事実、現代では、弧食・個食が社会問題になっている状態である。社会の変化は、行動能力の変化をもたらすということである。

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