第10回 富山総合開発の概要をつかむ

日時:2008年3月23日(日)正午~午後5時
場所:矢口文庫(埼玉県新座市)
出席:榊、矢口、北村、小澤

 本日は、加賀谷新作氏へのインタビューに向けて富山県総合開発計画に関する資料を読み、概要を把握した。

 文献:『郷土に築く―富山県教育計画に捧げた生涯故西永良次先生』
    (故西永良次先生追悼誌編集委員会,1967)
    『未来を見つめて』(塩谷敏幸顕彰会,1987)
    矢口新選集別巻 『地域教育計画とその展開』 →分析作業用として全員に配布
                                         

1.教育の総合計画(第一次)策定の経緯
  ●富山県〈教委〉1950年(S25)末ごろ総合計画に教育計画を入れる必要性が話題に(近藤鋭一教育長中心)
      ↓
   〈県教育研究所〉25年?所長中川 同庶務課長塩谷、
              教育長より使命を受ける 
          *26年度始め 第一次増員(西永,水島,川西,杉森ら)

  「計画策定上の問題点」作成・・・・・・・・矢口、一喝
                       教育の現状分析指示
                       調査要項作成指導
  26年8月ごろ~本格的調査開始・・・・・・矢口、調査結果の分析解釈
  26年度3学期 第一次計画作成・・・・・・まとめは矢口
           (27年3月完成)
          *27年度 第二次増員(鹿間,粟田,国香ら)

  ●北加積小 荒舘實 (教育課程10カ年計画)
        25年2学期~国研へ内地留学

  ●25年?教育長から国研所長村上俊亮に協力打診、26年6月正式要請
        ■村上:審議会委員、矢口:調査員
        (栃木県農業振興総合開発作成指導者、山越の指導受ける)         
   
   ★富山県総合教育計画書(第一次)の内容
   1. 現況編(現状の分析)
   2. 計画編 ①基本計画・・・・・遠い将来を目標としたもの
          ②中間長期計画・・・S35年までの9年間の計画
          ③短期計画・・・・・最初の2ヵ年の計画
          「富山県戦後教育の発展と矢口新」(竹長敏夫執筆)より

2.富山県総合教育計画の中核となる構想
    ● 教育への産業性の付与
    ● 教育サービスセンター
   
  参考資料 富山県教育センターの沿革(矢口新選集別巻 P.87 参照)

●今後の予定
  ①加賀谷新作氏へのインタビュー(3/26、私学会館にて)
  ②文庫所蔵の富山県総合教育計画関係資料の把握(リスト作り)
  ③水海道小の資料調査(継続)
  ④次回研究会:4月20日(日)正午~午後4時 

カテゴリー: 月例会

第9回研究会 矢口新の活動について全体像を概観する

日時:2008年2月17日(日)正午~4時
場所:矢口文庫(埼玉県新座市)
出席:榊、越川、矢口み、北村、小澤

1.矢口新の研究全体のオーバービュー 
研究計画の確認:科研費申請を土台とする。
 研究テーマ
 「戦後教育改革期における矢口新の教育研究活動および実践活動の今日的意味」
 今回の研究は、戦後教育改革期に限定するため、年代的には1945年頃から国研退職(1965年)までの20年間ぐらいを対象にするが、本日は、その後の能力開発工学センターでの活動まで含めて全貌を概観した。下記のように5期に分けられた。

■第0期(1937~1945)大学卒業~岡部教育研究所 
  ○白井村および東京下町の青少年の実態調査
   <1941~45 軍隊に召集される>
    
■第1期(1946~1953)中央教育研究所~国立教育研究所
  ○川口プラン、三保谷、水海道
   地域の実態調査に基づくカリキュラム策定

■第2期(1953~1959)国立教育研究所
  ○後期中等教育の編成に関する研究
  ○東京日野小、水海道、富山北加積等での授業研究

■第3期(1960~1965)国立教育研究所
  ○プログラム学習の研究、テキスト、TMなどの試作
  ○全国展開(全プロ連、全国大会)

■第4期(1965~1990)プログラム教育研究所、能力開発工学センター
   
2.水海道実践の初期の状況について  
 資料「教育課程の問題点とその探究」(茨城県教育研究所紀要第5集)により検討
  (全文コピー全員に配布、越川氏より内容紹介)

3.研究の進め方についての検討
 3.1 下記①②の調査から始める(関係者が高齢になっており、緊急性がある)
  ① 水海道地域での実践指導
  ② -1富山県総合開発計画
    -2滑川市北加積小学校での実践指導

  ①②分析の、核になる資料
    ○茨城県教育研究所紀要第5集「教育課程の問題点とその探究」
    ○富山総合開発関係 「未来を見つめて」(塩谷敏幸氏追悼誌)
    ○「郷土に築く」(西永良次氏追悼誌)   
    ○富山北加積小「社会科教材研究」
    ○越川論文

 3.2 ①②の経緯を、国研での調査研究や教育史上の出来事と関係付けて整理する
  ○矢口新の研究・実践がどのような態勢で行われていったか
  ○当時の教育研究・行政の方向の中で、どのように位置づいていたか
  を整理する
 
* 当時のカリキュラム論争の中での位置づけ(越川氏の課題)

 3.3 矢口新の研究・実践(①②以外も含めて)がどのように関係しあって展開していったかを整理する

   → 矢口の研究の経緯、著作・資料、教育史上の位置づけ の構造的年表をつくる
        
● 今後の予定
 1.富山県の教育総合開発計画への矢口新の関わり方について
   加賀谷新作氏へのインタビュー
     日時:3月26日(水)午後1時~4時頃
     場所:私学会館(市ヶ谷)
 2.水海道小学校の資料についての調査(継続) 日取り未定
 3.次回研究会:3月23日(日)午後12時~16時

カテゴリー: 月例会

第8回研究会 研究計画の具体化方法を検討

日時:2008年1月27日(日)午後1時~5時 
場所:矢口文庫(埼玉県新座市)
出席:矢口みどり、榊、越川、小澤

 まず、セネガルから帰国したばかりで興奮さめやらぬ体の榊氏が、興味深い映像を見せてくれました。ひとしきりセネガル生活の様子を聞いた後で研究会を開始。(セネガル報告については、榊氏がmixiの日記で詳しく紹介しているのでご覧ください。mixiに入会なさりたい方は、榊氏または小澤までご連絡ください。) 

1.研究の進め方について検討
 
 科研費申請研究
 「戦後教育改革期における矢口新の教育研究活動および実践活動の今日的意味」

 本研究では、東京大学卒業(1937年)から国立教育研究所を退所する(1965年)までのほぼ30年間の研究・実践活動を対象として、下記の5項からアプローチする計画であるが、その各項について調査対象、方法等を概観した。

a. 実態調査の方法論を明らかにする
 いくつかの調査についてケーススタディ的アプローチで迫る。
 どの調査をとりあげるかを検討する必要がある。

b. 教育課程策定の方法論を明らかにする
 川口プラン、三保谷村、水海道での実践を解析する(越川論文を核にする)

c. 教育現場における教育改革の方法論を明らかにする
 茨城県水海道市(現常総市)水海道小学校、富山県滑川市北加積小学校での実践を解析する。

d. 地域開発に資する教育計画の考え方及びその実践指導の方法論を明らかにする
 富山県教育総合開発計画の策定過程(聞き取り調査、資料)、計画思想(論文)、計画本文などを解析する

e. 国立教育研究所における教育内容研究の方法論を明らかにする
 国立教育研究所研究紀要、論文などを解析する
 共同研究者からの聞き取りを行う

2.3月までの具体計画

●富山県の教育総合開発計画への矢口新の関わり方について
 加賀谷新作氏にインタビューを行う
 日時:3月26日(水)午後1時~4時
 場所:私学会館(市ヶ谷)       <後日決定>
 
●水海道小学校の資料についての調査(継続)
 日時:3月27日(木)         <検討中>

3.次回研究会:2月17日(日)午後12時~16時
 
以上

カテゴリー: 月例会

第7回研究会 研究の方向が見えてきた

日時:2007年11月25日(日)午後1時~5時30分
場所:矢口文庫(埼玉県新座市)
出席:矢口(み)、榊、越川、小澤、北村(後半参加)

1.越川氏の論文(「戦後教育改革期における矢口新の役割」)について検討
 9月に学会で発表した内容について、教育史学会の学会誌に投稿した越川論文の検討を行った。事前に配布されてあったので、それぞれ意見を述べた。
 ・始めの部分、「実態調査に基づく」、そこからカリキュラム構成したということが何度も書かれているが、その内容がイメージできる材料を提示するとよいのではないか。(榊)
 ・川口プランについての紹介がほとんどないが、少なくとも参考文献には挙げた方がよいのではないか。(小)
 ・引用部分は、どこまでが引用された部分で、どこが越川氏の主張なのかが、読み取りにくい。内容を要約して述べたほうが良いのではないか。(榊,小)
 ・最後の部分が良い。越川氏の主張(矢口を研究する意味)がはっきり表れていて格調が高い。この内容が<はじめに>にほしい。<はじめに>の書き方で、読む気になるかどうかが決まる。そこで矢口新を研究する意味があることを、訴えると良いのではないか。(み,小)
 ・<はじめに>で、矢口新という人物の全体的イメージを与えるように述べてはどうか。その上で、矢口新の何を問題にしようとしているのか、その意味はどこにあるのかを述べるとよいと思う。(み)

2.研究会としての矢口新の研究の方向について
 矢口(み)氏が研究代表者となって、20年度の科研費研究助成を申請。提出した研究計画調書を土台にして、矢口研究会の今後の研究方向について話し合った。
  
研究テーマ:戦後教育改革期における矢口新の教育研究活動及び実践活動の今日的意味
 
●矢口新の活動の実態を明らかにすることを目標とする
 矢口新の仕事は、その「活動のしかた」に意味がある。
 教育研究といっても単なる文献研究ではなく、外国の方法の単なる紹介ではない。
   教育の場・対象を調査し、それにあわせて具体的な形を設計・実践する。
   実践した結果を具体的に提示して,教育の方向として提案する。
また、結果を分析して修正し、再構築する。そして実践する。 その連続。
 常に教育の現場に立って、そこにおける問題を捉え、教育を改善し改革していく。その姿勢を貫いた。その実像を明らかにし、教育現場と乖離した教育研究の現状への提言となる研究を目指す。

  【矢口新の研究活動のしかた】
     
   ①実態調査(教育の場,教育の対象の実態把握)         
   ②カリキュラム編成・教材作成(教育構想立案,学習活動設計,教材作成
   ③教育の実践(学習活動の指導,学習者の行動観察)          
   ④実践の評価,見直し(授業記録の分析)
  
 すべての活動は、教育現場との協同作業で行われた。初期においては、学校現場、後半はそれに企業の教育現場も加わった。その意味では完璧なラウンド的実践研究ということができる。
 ①→②→③→④から①、②、③に戻り、見直しを繰り返す。その過程で提案。こうした活動サイクルが生涯を貫いた。

 活動の背後には、下記のような視点・方法論があった。
   現状の把握 → 課題把握
   歴史的視点(春山作樹の影響)
   社会基底(海後宗臣の影響)
   実態調査(阿部重孝, 海後宗臣,村上俊亮の影響)
   世界的視野(世界的動向、新しい方法論)               

●いかにリアルに矢口の仕事が伝えられるが、目標到達の鍵。
  実態が捉えられる資料を、できるだけ多く収集する。
  矢口の仕事のしかたを知っている人の証言を収集する。(残り時間は少ない)
       
  <水海道>全部を端から調べるというのではなく、実践の実態を捉えるための中核となる資料を探して重点的に調べる。他は、概略の見当をつけてから、調べる。水海道の先生方の協力も仰ぐ。
         
  <富 山>まずは証人の一人である加賀谷氏(能力開発工学センター会長)から話を聞く。理事会で上京の折(08年3月末)が好機か。富山行きも早く実現したい。(科研費研究が採択されることを祈ろう!!)

○研究会終了後、忘年会ならぬ「望年会」。今年の本当に良い「出会い」の数々に乾杯!そして、今後の展望を語り合う。

■次回研究会:2008年1月27日(日)13時より

カテゴリー: 月例会

第6回研究会 水海道訪問調査(第2回)

日時:2007年10月27日(土)午前9時30分~午後4時


水海道側からご出席いただいた方々:倉持正,飯沼敦,大久保団次,飯村一男


研究会メンバー:矢口(み),榊,越川,北村,小澤


(以下、矢口(み)氏の研究会記録を転載)          


 台風20号が伊豆から鹿島灘を時速35キロで駆け抜けたこの日は、天気が大荒れ。にもかかわらず、倉持,飯沼,大久保,飯村の四先生が集まってくださった。感謝!当時の話をいろいろと伺うとともに、長時間にわたって資料整理を手伝っていただいた。


?1.四先生の話から 


・倉持(理科)、飯沼(算数)、大久保(国語)、飯村(社会)の主要4教科の教師が集まったと、倉持氏。 


・大久保氏は、菊地さんの担任。守谷の方に移られたので、水海道小へは20何年(?)ぶり 


・飯村氏は、4人の中で一番最後まで学校におられ、猪瀬資料をキャビネットに収めたときの担当者とのこと。(おかげで、だいぶ事情がわかってきた。)フィルムライブラリのありかも判明。 


・フィルムライブラリ活動について  学校から電話で申し込みを受ける。アルバイトの高校生に、フィルムの配達をさせた。フィルムは当時30万円した。後援会の予算で買っていた。  フィルムライブラリのリストは学校にあるのではないか。(要確認) 


・矢口先生の指導について  


「これでよしと思って、矢口先生のところに持っていくと、『これでいいかな?』と言われるともうおしまい。またやり直し。」  *話の様子はビデオ撮影してあるので、現在文字データ化中(榊氏)


2.フィルムライブラリ確認 


・2階中央通路の両側が映像ライブラリ。片側の4つ(?)のキャビネットに16ミリフィルムがぎっしり収まっている。数はざっと見て300本。(反対側の棚にはビデオ)   


・フィルムには、1本ずつに貸出し記録が付いていて、授業での利用のしかたなどを記入したという。数冊の貸出し記録確認。他の貸し出し記録は、フィルムケースの中か?(要確認)  貸出し記録からは、どのように利用されていたのかがわかるので興味深い。(要調査) 


3.歴史の部屋の資料を確認  


前回の調査により作成した資料リストに欠落している資料(猪瀬ナンバー付き資料の約30点ばかり)を探す。約10点を確認。主として、アルバム類。  


4.重要資料のリスト作成と、収蔵場所の確保


猪瀬先生の資料を中心とした、昭和23~40年代の教育実践に関する重要資料の確認と、大まかな分類整理(内容の種類別)をした。またそれらの資料群を、ひとつのキャビネットにまとめて収蔵、仮のラベルをつけた。


5.帰り道  


倉持先生と、大久保先生に守谷まで車で送っていただいた。黄昏時の上、激しい雨で前方がよく見えず、高齢の先生方の運転には危険な状態。事実、倉持氏が2度ほど右折の箇所を間違えだいぶ大回りした。先行した大久保車組は20分近くも吹きさらしの守谷駅で待つ羽目に。日の短い冬場と天気の悪い日は早めに終える必要あり。(守谷駅の飲食コーナーで、暖かい麺を食べて元気を回復、帰途に着いた。男性二人はなんとビールまで飲んでいた。)   


守谷駅駅南流山からの武蔵野線は、台風の影響で遅延。西船橋方面はすぐ来たが、埼玉方面は30分近くも待ったし、減速運転で大幅遅れだった。(皆さん、ご苦労様でした!!)


●調査後の動き


○資料リストの作成


第2回調査で確認できた資料のデータを追加、分類再構成して「水海道小学校保存資料リスト」を作成。(10/30み作成)発行年、著作者を確認できていないものもかなり残っている。また、先日目次等を書き出したものは、まだ一部の資料にとどまっている。内容を明らかにし、実践の実態を明らかにしていくためには、まだ道のりは長い。腰をすえて進める覚悟が必要。


とりあえず、今回整理したリストをもとにどのように調査研究を進めていったらよいか、次回の研究会で話し合うものとする。


○四先生及び水海道小学校に、協力御礼と調査結果の報告(10/31)


保存資料リスト同封の上、四先生及び水海道小学校(校長宛)に礼状送付。水海道小学校には、資料の整理状況とともに収蔵場所の移動をしたことについて報告して、了解を求めた。


○倉持先生からメールが届く(11/2)


矢口みどり様


先日は20号台風の中ご苦労様でした。 


本日「水海道小学校歴史的資料リスト」受領いたしました。 


知らない人にとっては猫に小判、ごみの山と思われかねません。今回整理の手が入り、その重大な価値と貴重さがわかり、しかも分類整理され、人の目に触れることが出来るようになったことはまず一歩大きな前進と思います。ありがとうございました。 


あの翌日、教育長と会いまして、大久保、飯沼、飯村氏も同席し能研の先生方5名出席で終日資料の整理をしたことを報告しましたら、私も行くんだったなあと感謝しておりました。 


まずは御礼まで。


■次回研究会 11月25日(日)13時より 

カテゴリー: 訪問調査

常総市教育長・水海道小校長訪問

日時:2007年10月17日(水)
訪問者:矢口(み)、小澤
目 的:水海道小学校保存資料の調査許可願い&調査の進め方についての相談

(以下は、訪問後矢口(み)氏からメンバー宛に送られたメール) 

1.常総市教育委員会 
時間 :9:40~10:40
面談者:教育長 大塚修氏, 学校教育課長 深作明男氏 (同行 倉持正氏) 
約束した時間より早くついてしまったのですが、倉持先生からの連絡で、もう待機されていたようで、待つことなくすぐに話をしていただけました。教育長の大塚修氏は、能開センターの研修を受けたことがあり、小澤さんとは面識のある方でした。

 こちらの目的、「矢口新の水海道小での教育実践の実態を明らかにする」ための資料調査については何の問題もなく、問題になったのは、もっぱら水海道小学校の教育資料の保存についてでした。
 教育委員会も、水海道小学校の資料の重要性については、十二分に認識しており、きちんと保存しなければならないとは考えているようでした。しかし、どのように進めていくかについては、考えあぐねているようでした。
 どこかに施設を作ってそこに収めるというようなことをイメージとしており、それだと膨大な予算がかかるため、予算的にはなかなか難しいと思っているようでした。
 私たちは、あの資料群の整理保存活動は、水海道小学校の教育活動に愛着を持っておられる方々、つまり、あの教育を実践してきた先生方,卒業生たち,そして保護者たち、そうした人々の力を借りて進めていくのが良いのではないか、という考えを話しました。

 教育委員会が音頭をとり、小数の専門家たちの手ですすめ、施設を作ってそこへ収めてしまうという方法は、資料の整理は確実にできるかもしれないが、その資料の価値は一部の人が知るだけで終わってしまう。そしてまた、いずれその存在は忘れられてしまう恐れがある。
 いかに、あの資料群の重要性を多くの人々が認識し、「生きた資料」として長く存続させ続けるようにするかを考えて進めていく必要がある。
 水海道小学校の教育に関わった人々に、その資料の整理保存の活動を呼びかける。水海道小学校の教育に関わった人なら、その活動をする過程で水海道教育の価値、その証拠である資料の重要性を改めて実感してもらえるのではないか。
 そこから、現在の学校へとつないでいく工夫を考える。
 資料を整理していく間に、その資料群を子どもたちの郷土学習や、総合学習の材料として活用する工夫も考えられるのではないか。
 そうした活動の中で、どういう形で保存していくのが良いかアイディアも生まれてくるのではないか。(新聞を復刻しようとか、国語の教材にしようとか)

 以上の提案は、教育長、学校教育課長お二人の賛同を得ることができました。
  ①原則としては、ボランティア的な活動を主体とする。
  ②活動の方向が見えてきたら、そこに公的支援をしていく、
ということで話がまとまりました。

2.水海道小学校
 時 間:11:00~12:00
 面談者:鈴木教頭 (校長の豊島氏は学校関係者に不幸があり、不在。)
 
①資料の調査については、問題なし。非常に好意的。
②研究会の調査日は、原則として土曜に
 全国ーの実力をもつ金管バンドが練習に来ているので、校舎は大抵は開いているとのこと。遠征中はあいていないので、事前に学校に連絡して確かめること。閉まっているときは、希望時間を伝え、鍵を開けてもらい、終了時に連絡して閉めてもらう。
③資料の整理保存について
 進め方については、教育委員会でお話したこととおなじことを、お話しました。異存どころか、かえって喜んでくれました。
「本来ならば人を雇ってでも自分たちがするべきところだが、なかなかできない。やっていただけるのは本当にありがたい。歴史の部屋の建設時の浄財がまだ余っているので、資料整理作業で発生する費用については負担する。」とのことでした。
④歴史の部屋の資料目録借用(水海道小学校より)
 土浦の郷土史研究家青木氏作成のもの。名村氏が記念誌作成のための調査のために相談に行ったところ、興味を持ち一緒に調べ作成してくれたもの(名村氏の情報による)で、資料のリストと解説から成る。

                           
■次回研究会 水海道小調査【10月27日(土) 9:30~16:00】

カテゴリー: 訪問調査

第5回研究会 越川氏の学会報告を中心に

日時:2007年9月30日(日)午後1時~5時
場所:矢口文庫(埼玉県新座市)
出席:越川、矢口(み)、北村、小澤

1.水海道調査(8月実施)の結果について

 水海道実践を知る上で、最も重要と考えられる資料が猪瀬資料(NOs.1~100)であるが、今回の調査では3割ぐらいしか掴めてない。再調査が必要である。

 水海道小で見せてもらった「名村リスト」は、「歴史の部屋」の資料を郷土史家の青木氏がリストアップしたもので、名村氏が10部コピーして関係機関に配布したそうである。手書きのため分厚い資料になっているので、データ化する必要がある。借用できるか。

2.矢口研の研究課題について

 矢口先生の実践を調べる切り口について話し合った。未だ群盲象をなでるに等しい状態の中から、下記の3点が浮き彫りになった。
 A.矢口先生が研究・実践した教育設立(カリキュラム)の方法論を明らかにすること。
 B.学ぶものすべてが学習可能な方法論(プログラム学習)への展開の軌跡を明らかにすること。
 C.勤労者の教育という視野による研究・実践の軌跡を明らかにすること。最近イギリスで提唱されているワークプレイスラーニングにも通じる思想・実践が見られる。

<Aについて>
○水海道については調査が開始されたが、富山の調査も急がれる。
 高卒者の出身県への定着率は富山県が日本一ということだが、総合開発の思想・実践が影響しているか。(要、旅費の工面)
○並行して、国研の紀要も調べる必要がある。国研の移転(虎ノ門)で図書館の資料が散逸する恐れはないか。(後日確認したところ、図書館は目黒にそのまま残ることが判明)

<B・Cについて>
 まず、矢口文庫の資料について、何が残っているか、何を残すべきかを明らかにする必要がある。研究会とは別に資料整理の時間をとる必要がある。

3.越川氏の学会発表について

 越川氏の教育史学会(第51回、9月22日、四国学院大学にて開催)での発表が終り、報告があった。

 テーマ:戦後教育改革期における矢口新の役割
     -戦後地域教育計画の分析を通してー
 
 要旨<教育史学会における発表の意義>:

■戦後地域教育計画論を、戦後教育史の中でどのように位置づけるか
 今までの戦後教育史の中では、カリキュラム改造の時期は戦後教育改革期であり、社会科に限られていた。地域教育計画論をカリキュラム改造と位置づけ、特別教育活動もカリキュラム改造として位置づける必要がある。埼玉県三保谷プランは、自治活動や部活動にみられる特別教育活動を生かした社会学習であり、日本の民主化に大きい可能性を内包した教育活動で日本的な特色のあるものであった。その歴史は、川口プラン・三保谷プラン・水海道実践・富山総合教育計画として脈々とつながっているが、教育学的に明らかにされていない。日本社会の現実の中で歴史的に展開された理論と実践の中からくみ取る作業がない研究は、現代の実践における土着(日本に根づいた)の力強い源流とはなりきれないで、欧米学問の輸入による啓蒙的な教育理論や実践に陥りやすい
■矢口新を研究でとりあげる意味は何か
 川口プラン・三保谷プラン・水海道実践・富山総合教育計画をつなげるものは、これらの全てを中心的に指導した矢口新(やぐちはじめ)である。矢口は、海後宗臣(かいごときおみ)門下の第一期生で、戦後教育改革期にも大きな理論と実践の成果を残した教育史上の重要な教育学者であるにもかかわらず、従来の教育史学会では一切取りあげられていない。多くの海後門下生の教育学者の中で、海後宗臣著作集の編集の筆頭になったのが矢口である。戦後教育学が、大学教員中心であり、その系列以外の研究や分野は研究対象からはずれる傾向があった。学校中心主義や教育内容・方法の官僚統制の弊害により、矢口の理論や実践は、今までの教育史研究ではとりあげられていない。教育実践や教育事象に影響を与えた理論や教育研究者を、社会的立場とは相対的に独自な形で評価する必要がある。
■地域教育計画論における矢口新の役割の研究の意味は何か
 本研究は、日本の地域生涯教育計画論を構築するうえで社会教育や学校教育をも含めた地域全体のカリキュラム作成計画の研究の土台になる。今までの教育研究・教育史研究が、分野ごとの研究に制約されてしまったり、未来への教育政策への大きなビジョンを持たなかったり、大学や学会の枠内にとどまる傾向があったため、矢口新は研究の対象にならなかった。海後宗臣=矢口新の日本の戦後教育の基盤をつくった両教育学者の理論と評価を行うことが、戦後60年の日本の教育の再評価につながり、新たな研究の未来を開く。

≪質問者≫
  橋本昭彦氏(国立教育政策研)
 「矢口の仕事の負の部分、正の部分をどう評価するか。」
  秦氏?
  阿部氏?

なお、この研究発表は何らかの形で論文に掲載されるよう準備をしている。

カテゴリー: 月例会

水海道「歴史の部屋」訪問 その2

訪問後、研究会の動きが活発化している。
その様子をメールから紹介する。

①榊正昭さんからのメール

 あの書棚がもしあの場所になかったら…と思うと、天が味方してくれたような
 気がします。
 <私の思いつき>
 ○あかつき新聞、やまびこ新聞の復刻版の企画(卒業生による)
 ○当時の新聞社社長、編集長へのインタビュー
 ○放送部、購買部はじめ自治活動についての関係者インタビュー
 ○「はえのいない町」の経緯、特に町の衛生行政との関わり。
 <矢口教育学に関しては>
 ○社会科カリキュラムの作成経緯
 ○生活学習研究会

 いろいろ発想が湧いて来る水海道訪問でした。
 そこが現地調査の面白さですね。

 ビデオから倉持、飯沼、菊池お三方の話をテキストに
 しておきます。こういう話はテキスト起こしも楽しい
 です。

②矢口みどりさんからのメール

 8月9日水海道の一日は、本当に感動的な一日でした。
 水海道小学校でのすばらしい教育を、少しでも多くの人に知ってもらい、
 現在の教育に少しでも生かせられたらと、思います。
 毎日暑い日が続きますが、夏バテなどしていられませんね。
 皆さまのメモをもとに、水海道小学校保存資料のファイルを作りましたので、お 送りします。常総市教育長、水海道小学校長、および手伝っていただいた倉持、 飯沼、菊池の諸氏にも送るつもりです。
 調査の翌日、常総市の教育長大塚修氏(元水海道小教員)と電話で話をしました。
 水海道小学校の活動は戦後教育史に置いて大変重要な意味があること、
 またその活動の記録が残っていることが大変貴重であること、
 など話し、今後も調査を続けさせてほしいとお願いました。
 大塚氏は自分も近いうちに水海道小を訪問したいと話されていました。

 以上報告まで。

③小澤からも一言
  
 水海道小の輝かしい実践の様子は、何らかの形でまとめて公表したいですね。
 名村さん(水海道小130年記念誌「仰ぐみどりの」の編著者)へのインタビューも考えましょう。
 学校に絶望している人々に、学校がこんなにも楽しい場所になり得るのだということを知らせたいものです。

カテゴリー: 訪問調査

水海道小学校「歴史の部屋」を訪問しました(第4回研究会:訪問調査)

訪問日時:2007年8月9日(木)9:00~16:00
訪問場所:茨城県水海道小学校(常総市水海道天満町)

水海道側出席者:倉持 正(元水海道小学校教諭)
        飯沼 敦(元水海道小学校教諭)
        菊池陽子(水海道小学校卒業生)
矢口研究会:越川、矢口みどり、榊、北村、小澤

 何年ぶりかの水海道は、随分近くなった。武蔵野線の南流山で新しくできたつくばエクスプレスにのると20分足らずで守谷。ここからは昔どおり、関東鉄道に乗り換えて13分で水海道だ。駅の地図が「常総市」と書き換えられているのが印象的。

 今回の目的は、水海道小における矢口教育の実態について関係者から直接聴くこと、さらに実態を示す資料を探すこと、の2点である。
 詳しい内容は越川さんからのメールを転載しておく。
> ①矢口新とのつながり
> ②中央教育研究所とのつながり
> ③三保谷に訪問1949年5月?
> ④社会科のカリュキュラム構成
> ⑤自治活動・特別教育活動とのつながり
> ⑥「歴史の部屋」に残されている資料 文書 映像 音声
> ⑦猪瀬校長の経歴・実績・人となり 矢口新との関係
> ⑧水海道実践が及ぼした影響  実験開発校
> ⑨第一回読売教育賞
> ⑩蠅のいない町 私達の学校
> 以上のようなことを中心に聞き取りをしたいと思います。

 訪問の結果は、予想以上に大きな収穫があった。第一には、参加された3人の方々の話がすべて具体的で感動ものであったこと、第二には、「歴史の部屋」はもちろんだが、それ以外にも(何と、ほこりまみれの廊下の書棚に)宝のような資料がざくざく発見できたこと。
 1950年ごろの記録や新聞、写真などがよくぞ今日まで保管されていたと驚くばかりだが、これは、何と言っても猪瀬校長が当時の資料を非常に丹念に整理保管していたことによる。その後何代もの教諭陣の変遷、学校の移転などを経ているため、現時点では整理は不十分ではあるが、とにかく当時の実践を語る資料が存在していることがわかった。今後の研究への大きな足がかりができた。
 
 というわけで、研究会のメンバーは全員興奮状態で帰途についた次第。
 みなさんのメールからも興奮の様子が伺えると思うので、下記に転載する。

①小澤→倉持氏(礼状) 
 今日は大変お世話になり、ありがとうございました。
いろいろ貴重なお話を聞かせていただいた上に、お昼までご馳走になってしまい、帰りには車で送っていただくなど、数々のご親切に対して心より感謝申し上げます。
 「歴史の部屋」および廊下の資料は、まさに宝の山、電車の中でも、一同興奮状態で話しつづけながら帰宅しました。さすがに水海道小の実践、燃えた実践の迫力は凄いです。
 何とかこの素晴らしい教育の姿を広く伝えたいものです。こうした方向を目指して何らかの努力がなされることが、今の教育の閉塞状態を救うことになるのではないか、との思いを新たにしました。
 今夜のニュースでは、また不登校の生徒が増えたとのこと、海小のような教育では、生徒は喜んで学校に通ったでしょう。こうした教育を広めて、不登校で悩む生徒や家族を一人でも減らしたいものです。
 私たちの力は微々たるものですが、精一杯やって行きたいと思います。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
 飯沼先生、菊池さんにもよろしくお伝えください。

②倉持氏からの返信(小澤宛)
 暑い中先日はご苦労様でした。
 何十年振りかでの先生方との面会楽しかったです。懐かしく当時を思い起こしました。それにまた、消滅したと思っていた多くの資料が見つかりこの上ない喜びです。皆様のおかげです。心から感謝申し上げます。
 矢口教育学研究会の発展を祈ります。
 残暑厳しき折、お体大切に、皆様によろしくお伝えください。

③越川さんのメール
 研究会の皆様 9日は暑さもふきとんだ勢いで、とても感動的な一日でした。
これからの責任の重さをひしひしと感じますが、微力ですが精一杯努力してみます。
 次回30日には、学会報告のものを報告させていただきます。今月20日には要項をおくります。水海道小に保存されている資料があれほどあれば、矢口先生の理論と実践の検証おおいに役立つし、歴史的意義があると思います。
 1955年以降の文献(矢口先生のかかれたもの:雑誌)の保存状況と分析、
水海道小の保存文書の整理と分析と保存の作業が必要です。

④北村さんのメール(小澤宛)
 昨日はありがとうございました。
 よもやほこりまみれの作業があるとは予想しておりませんでしたが、
  >お供は多い方が楽しいです。気楽に参加してください。
 ということで、お供役?としてはお役にたててうれしかったです。
 矢口研究会一員となりながらも知らないことばかりで、しかも頭も整理されていないし、流れの中で行くということになってしまったけどこんな形でいいのかな、とつい気持ちが消極的になっておりました。でも、、
  >きっと何か感じることがあると思います。
というのがまさにそうでした。 
 特に、飯沼先生、倉持先生、菊池さんが喜々として、何十年前ものことを語り合ってる光景を見ることができたのは、私にとって大いなる収穫でした。つまり、
教えた側(教師)も、教えられた側(生徒)もともに思い出して喜び合える、それってとてもすばらしいことですよね。
 私自身は、振り返っても、学校の勉強のことで、思い出すことは、あまりに少ないです。思い出しても、何だか退屈だったなあということばかりです。だからあれだけ記憶に残っていて、話が出来るというのは、それが「実感」できたことがよかったです。
 たぶん、細かいことは忘れると思うのですがあの、3人の充実感の満ちた笑顔だけは、忘れないと思うからです。
 「温故知新」ってこういうことなのですね。もう昔のこと、途中ですたれてしまったことと、切り捨てないでそこに意義を見出して、そしてその何がよかったか、何が足りなかったのか、何をすればもっと長く続いたのか、そんなことを考えて今に役立てるということが、絶対できるものだと、そしてそれこそが必要なことだと思いました。
 何だか未熟なままで申し訳ございませんが、今後ともよろしくお願いします。

 以上それぞれに心うつメールなので、原文のまま転載する。(各位ともご了承のほどを。)
倉持、飯沼、菊池のお三方のお話は、すべて興味深く、当時の教育状況がよくわかるものばかりだった。この場を借りて、改めてお礼を申し上げたい。

★次回作業日:9月1日(土)(矢口文庫の資料整理などを行う予定)
★次回研究会:9月30日(日)

カテゴリー: 月例会

第3回研究会・水海道調査決定

日時:7月8日(日)午後1時~5時半
場所:矢口文庫(埼玉県新座市)
出席:越川、矢口みどり、榊、北村、小澤

前回、課題となったことについてそれぞれ担当したメンバーからの報告に基づいて話し合った。

1.冨山県総合開発の7・3体制の教育政策についての批判(宗像誠也ら著『人間能力開発教育と子ども・教師』)を批判する<榊正昭>
 
 ●宗像らの批判は、事実に対してというより、7・3体制を「産業に奉仕する」「資本家のいいなりになる労働者を育てる」教育政策として捉え、批判している。極めてイデオロギッシュな立場である。
 ●これを言葉によって再批判する意味はない。
 ●私たちは、総合開発の教育計画について、まず、その理念と現実の姿をつかむ必要がある。その上で、この計画が残したものについても、事実を明らかにし、評価する必要があるだろう。

 ★できるだけ早く冨山の関係者に会って情報収集した方がいい。
 まず、こちらの目的などを加賀谷さんに下話した上で、関係者に集まってもらう。年内実施?

2.水海道実践についての情報収集について<矢口みどり>
 ●130年史「仰ぐみどりの」名村栄治さん(編著者)より1冊、後日2冊贈呈あり
 ●研究会記録などがまだありそう
  (猪瀬嘉造先生が保管していたようだ。和男さんに問い合わせ中)
 ●映画・センターにあり
 ●国研の授業調査?

 ★水海道小学校の「歴史の部屋」を訪ねる必要あり。
  関係者の話を聞く必要あり。

 ★★8月9日(木)訪問決定。受け入れ:倉持正氏

3.矢口卒論『明治維新における教育制度』のデータ化について <北村>
 ●本文入力済み、注釈はこれから。
  漢字やかなづかいは現代式にする。読み易い。
 ●明治の教育は町人教育を受け継いでいる。

4.対談・鼎談の録音テープについて <小澤>
 ●文部省企画録音教材として作られたもの(各10分、3本)
  いずれも矢口先生が進行役を務めている。

 ・対談「青年団の役員」(1954、43歳)
 ・鼎談「村の実態調査」(1956、45歳)
 ・鼎談「産業振興と調査活動」(1956、45歳)

5.矢口新の教育調査について <矢口みどり>
 ●岡部研究所時代:白井村の調査
   日本初めての科学的な教育調査と評価されている。
   矢口は、この調査で中心的な活動をした。
 ●国立教育研究所時代
   10周年記念誌,20周年記念誌の記録から、
   同時進行で、重要な調査を精力的に実施していることがわかる。
   国研に調査部を作るにあたり、矢口が呼ばれたと考えてよいのではないか。
   それぞれの調査についての報告書あり。要、内容の解析。
 ●調査結果から、その地域に合った教育を組み立てるという考え方
   岡部研時代、海後先生による中国辺境地域の調査からの教育提案(S14?)に感銘したと聞いている
    
6.越川論文について <越川氏からの問題提起:資料配布>
 ●矢口教育学のネーミングをどうするか?
  “矢口”の名前をいれる?
  性格を表現する?
 ●国研での調査研究から、プログラム学習運動、能力開発工学センターでの産業界での実践へと移行していく過程をどうみるか?
  ・参考:新聞執筆「めぐりあい」

 
 ■次回は水海道訪問(8月9日)

カテゴリー: 月例会


:: カテゴリー
  • 訪問調査 (5)
  • 月例会 (16)
  • 資料整理 (1)